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今読んでいる本、浅田次郎著「中原の虹」。
19世紀初めの中国、滅びゆくかっての大帝国清王朝を一人で支えて来た女傑・西太后が身罷り、傾国は加速度をましてその時を迎えようとしていた。このとき玉座にあるのは、西太后が死の床で後継を託したわずか6歳の第12代宣統帝愛新覚羅(アイシンギョロ)溥儀(プーイー)。ラストエンペラーである。 浅田は清朝滅亡のクライマックスを幼帝溥儀の心を通して、こう巧みに描いている。 ・・・しーらない、っと。なんだかよくわからないけど、じさつ(自殺)はしないかわりに、てんし(天子)をやめちゃうってことだね。ぼくはなんにもわるいことなんかしていないのに、どうしてやめなきゃいけないのかな。まだちっちゃくてなにもできないからかな。 驚くべきことにこのとき亡き西太后の霊のなせる技か、幼帝溥儀の耳に西太后の囁く声が聞こえたのだ。 ・・・プーイー、では、おおきなこえでこういいなさい。 なんじ、ユアン・シイ・カイ。ちんはなんじのちゅうしんをよみす。ただちにみことのりを、せんとうていのなにおいてふたつせしめよ。・・・ 汝、ユアン・シイ・カイ。朕は汝の衷心を嘉す。直ちに詔を、宣統帝の名において布達せしめよ。・・・ 退位の詔が幼帝によって発せられ、この国は清から民国(中華民国)と名を変えることになったのだが、それも形ばかりのこと。混乱は日ごとに増すばかり。 この国を一つにまとめ、列強諸国の侵略から国と民を守らんとする者は現れるのだろうか?現れるとするならそれは誰か? 革命勢力の結集に成功したした孫文(スンウエン)か?はたまた、一度は追放されたものの再び都に呼び戻された軍閥の領袖袁世凱(ユアンシイカイ)か?いや、このとき愛新覚羅の聖地満州を実効支配する草原を駆る馬賊の総攬把(ツォンランパ)張作霖(チャン・ヅオリン)か? そして幼いときに生き別れとなったあの李兄弟、片や弟は、今は亡き西太后の信頼の厚かった、今もなお後宮を支える続ける大総管太監(ダアツォンクヮン・タイチェン)李春雲(リイチュンユン)、片や張作霖の片腕として名をとどろかせる兄李春雷(リイチュンレイ)。兄弟は果たして相見えることができるのだろうか。 激動の19世紀のはじめ中国を舞台にした大歴史ロマン「中原の虹」は、いよいよ終章へと移ります。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年03月22日 10時20分49秒
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