カテゴリ:遊遊漢字学が楽しみ♪
かって永田町では、ときの総理大臣すら自分の意のままに決めてしまうキングメーカーと呼ばれる人がいて、政界を牛耳っていたのは記憶に新しいことです。 今私は「牛耳(ぎゅうじ)る」ということばを使いましたが、考えてみれば「牛の耳」とはおかしな表現ではありませんか。 どうして馬の耳ではないのか? まあ、さすがに「豚耳る」では豚汁と間違えそうになりますからね、はばかられますけれど。(笑! 毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、「牛耳る」のいわれについて。 正直に申し上げます。「牛耳る」とは、「牛耳を執る」の「牛耳」を動詞化したことばだったとは知りませんでした。 その由来が、秦によって古代中国が統一される前、戦国の雄が覇を争った春秋戦国時代にまでさかのぼらなければならないとは、まったくもって驚きです。 覇者の地位を求めて攻防が繰り広げられていた時代、戦国の雄はしばしば近隣の諸国と同盟を結び約束を固めた。諸侯たちが集まって同盟を締結することを「会盟」、誓った内容を石や玉に書いたものを「盟書」というのも耳に新しいことです。 この時登場したのが牛で、馬や豚ではなかった。会盟の主催者が牛の耳をつかんで会場に入り、牛の耳に刃物をあてて取った生き血を参加者全員が唇に塗って、盟書を破らない誓をたてたというのです。 このことから、ある団体や組織の中で主導権を握って行動することを「牛耳を執る」といい、それが縮まったのが「牛耳る」なのだと。 驚くべきは、「血の結束」を誓い合ったあとは、その誓約書(石)が牛と一緒に地中に埋められてしまったということ。 現代の感覚では、それでは誓約書の意味がないではないかと思われますが、春秋戦国時代の中国では、覇者たらんと欲する者は一度誓った約束は決して破ってはならないということなのでしょう。 ひるがえって現代の日本に目を向ければ、役所の重要決裁文書が決済を受けてから改ざんされたのではないかという疑いでもちきりです。 もともとの決裁文書があるはずだからこれを出せという国会での野党の追及に、政府と役所は検察当局の捜査により、決裁文書が押収されていて、現段階では手元にないので出せないといった、いかにも苦し気な答弁に終始しているようです。 ・・・いっそのこと春秋戦国時代の「血の結束」にならい、牛と一緒に地中に埋めてしまったと言えばどう? でもそんなことを言えば、ではそれを「牛耳った」のは誰だと、追及はより一層激しくなるにちがいありませんが。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年12月24日 10時32分16秒
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