カテゴリ:ひとり言
仕事に追われ日々時間に余裕のない生活を強いられている現代人にとって、1年365日どこをとっても1日は24時間と決まっております。 秋分の日が過ぎてやがて一月も経てば、昼夜の長さは完全に逆転してしまいます。夕方5時を過ぎれば辺りはもう薄暗くなっているのに気づき、思わず仕事の手を早める人も多いのではないでしょうか。 では昔の人はどうであったかというと、当時の時間の単位は文字どおり「時(とき)」、一時(いっとき)が現代の単位で約2時間ということになります。今約2時間と言ったのには訳があって、昔の時間は昼と夜で長さが伸び縮みしていたがために、はっきりと2時間と言い切ることができなかったのです。 「旧暦はくらしの羅針盤」(小林弦彦著 生活人新書)に詳しく書かれております。
すなわち、昼は昼で日の出から日の入りまでを6分割したものを一時(いっとき)とし、夜は日が暮れてから翌日日が昇るまでを6分割していたから、これからの季節昼より夜の一時の方がはるかに長くなるというわけ。反対に夏になれば、昼の一時が断然長くなる。「秋の夜長」や「春眠暁を覚えず」の例えは、こういった背景があって出たものだということが推察されます。 文明の力・電気の恩恵を受けている現代と違って、昔は日が落ちれば月夜でもない限り夜は真っ暗。ろうそくや行燈の油などは、当時は超高級品であったがために、夜になればそれこそ寝るだけ。せいぜい囲炉裏端で囲炉裏の火をたよりに、細々と夜なべ仕事をするくらいだったことが想像されます。 「灯火親しむ候」とは、これからの季節のことを言うのでしょうが、どうもそれは現代人にとっていえることで、昔の人は本を読むにも時間に物理的な制約があったことは、二宮金次郎の例えをひくまでもないことです。そもそも書物を手に入れること自体並大抵のことではなっかことを思えば、灯りもある、本もある、現代に生きる我々は何と幸せなことかと思うのです。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年10月13日 11時50分05秒
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