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愈々庵気まぐれ日記

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2010.10.31
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カテゴリ:国内旅行

八方尾根

登山の時、景色も面白みもないが短時間で登ったり下ったり出来る比較的

単調な登山道を「馬鹿尾根」と呼ぶことがある。白馬村の裏側にあって

唐松岳に通じる八方尾根の登山道もかってそう呼ばれていた。

私もかって後立山連峰を縦走した際、この木立に囲まれて眺望も風も無い

蒸し暑い八方尾根を白馬村まで下ったことがある。今はそんなことをする

人は殆ど居ない、と言うのもゴンドラロープウエイ・リフトと乗り継いで簡単に

この部分をスキップできるからである。要するに昔の登山が今はピクニック

に変わってしまったのである。

今回の白馬旅行最終日、帰りのバスまでたっぷり時間があるので相変わらず

眺望が聞かない天気であるが、ここの売りである山岳景色を見るためロープ

ウエイで八方尾根に登った。ガスっているとはいえロープウエイからは白馬村が

見渡せる。広い草地が広がるが冬は駐車場や初心者用ゲレンデとなる。

 

P1110995

首都圏の人にとっては信州や東北に大きなスキー場がいくつも有るが

関西圏に人にとってはここら辺までこないと本格的スキー場は無いのだろう、

その馴染みか紅葉時期でも関西弁がよく響き渡っている。

確か冬は大阪から糸魚川線直通の特急列車や高速バスが頻発している

はずである。

 

話はそれるがアルプス線と愛称される糸魚川と松本を結ぶ大糸線は昭和

32年(1957)に新潟県の大糸北線と長野県の大糸南線が繋がり全線開通

して大糸線となった。なお現在南小谷駅から松本側はJR東日本、糸魚川側は

JR西日本である。南小谷は両方に属するらしいが駅長はどちらの任免か

知らない。北小谷駅はJR西日本とのこと。

なぜ、くどくど大糸線について記したかと言うと、私の白馬岳登山の時がその

開通日であった。そのため帰り道白馬駅から松本へは南下せず、糸魚川に

向かって開通列車に乗った。その際開通部の沿線住民が日の丸の小旗を

手にわれらが列車を見送ってくれた思い出がある。戦後10以上年たって

私が始めて目にした日の丸行列であった。今はスポーツの国際試合などで

日の丸はよく振られるが、当時まだ敗戦の遠慮があったのか沿線の各家に

掲げられ人は並んで日の丸を振る姿が印象的であった。先日人生の整理を

していて古いアルバムに張られた記念の切符を発見したがあっさりと

処分されてしまった。

 

リフトが高度の高いゲレンデにかかると草原の周りには紅葉した低木が美しい。

IMG_0157

草原も高度がさらに上がると草紅葉と化す。

P1110998

ロープウエイを降りて登山道を登ると大小多くのケルンがある。下の大きな碑は

悪天候にここで遭難した西坂息さんを追悼するひときわ大きなケルンである。

P1120007

息子の追悼と遭難を防ぐ道標として建立された ”息(やすむ)” ケルン。

P1120006

昔から登山者は岩場の登山道に石を積み上げてケルンと称し、自分の足跡

としての記念碑、そして登山道の道しるべとしてのメッセージを託してきた。

私自身も多くの場合先人が作り風雨で崩れた天辺に小さな石を積んで尖った

先端を修復したものである。

P1120011

写真に見えるように霧の中では目立つ存在であるゆえか大小多くのケルンが

積まれていた。

さてこの”ケルン” なる言葉、登山用語にはリュックザックとかピッケル、

アイゼンのようにドイツ語が多いのでケルンの聖堂のあの高い尖塔に由来する

ものと思い込んでいた。ところがあれは英語の"cairn" からで来ており、

ドイツ語では”Steinman(石の人)”だと分かった。石を積み上げるのは昔から

世界各地であった習慣で、道標であったり農地の境界標であったり、墓標で

あったりしたそうである。時には開墾地で不要な石を積み上げただけのもの

もあるようである。Cairnsと言えばオーストラリアのケアンズが思い起こ

されるが、この地は元々金鉱の町だったらしいので、やはり鉱山の道しるべ

から来た名かも知れない。”Cairn”は本来 ”ケアン” に近い読みらしいが

ドイツ語になれた登山家が”ケルン” と訳したのだろう。

 

結局八方尾根は終日ガスの中で(登山用語ではなぜか霧や雲をガスと言う)、

右側に聳える白馬三山 (白馬岳、杓子岳、白馬鑓)の雄姿も正面に迫る唐松岳、

五龍岳、鹿島槍の雄大さも望むことは出来なかった。

それでも瞬間的には雪渓に残る昨冬の白いものを認めたり、

P1120008

痛む足を引きずるながらも八方池にたどり着くことが出来た。

P1120013

ここまではハイカー・トレッカーでも難なく(?)アクセスできるがここから

唐松岳への登りは本格的登山となる。

もう私には叶わない昔の思い出だけの世界となる。






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Last updated  2010.10.31 10:26:16
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