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愈々庵気まぐれ日記

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2016.11.16
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テーマ:国内旅行(1393)
カテゴリ:国内旅行
上吉田で富士山駅の周りを散策中、≪ふじさんミュージアム≫ の付属施設として重要文化財である 
旧外川家の住宅が公開されているので見学した。


 
前ブログに記したように≪御師≫とは神官であり、かつ総合旅行会社であり旅館経営者でもあった、
さらに富士山信仰の布教師でもあった。その旅館兼住宅はもちろん当時の建造物としては立派な
門構えであるがごく普通の住宅にも見える。
しかし神社のように紙の≪下がり≫が下がっているのはさすがである。100円という見学料にも 
かかわらず係りの人が就いて丁寧に説明してくれた。

  
玄関の間に続く8畳3間が本来の客間で、脇に家族の部屋や台所が付いている。あまりの狭さに
何人くらいが泊ったのかを聞くと、大体一畳に2人位だとの答え。昔の人は小さいとはいえ、
長旅の荷物などもあるだろうに!! 確かに時代映画でも旅人の荷物はひもを肩にかけ前後の 
振り分け荷物が標準だったのだろう。


欄間には 所狭しと額がかかっている。 刷り物でも33度の登山記念記がよく目に入るが、
富士山の祭神(仏)は大日如来だとかでやはり仏教色の強い信仰であったことを窺わせる。  
またこれらの刷り物には各講のエンブレムが 印されている。御師たちがそうであるように
各講には代表としての先達とか法家と称する総裁のような人がいてその名誉職は代々受け継 
がれていたようだ。


富士の信仰登山は夏がシーズンで冬の時季御師達は各講を訪ねて歩き、講の集会に出席して
祈祷・布教に努めたり、また旅行説明会のようなこともしていた。その時いろいろな刷り物を
持参して配布したようで、いわば現代のチラシのようなものを配った。講に配る大きな
刷り物の版木やビラもあるが個人に配る小さな景品のような札もあったようだ。


外川家では本来の3つの間が狭くなり細長い敷地の奥に小さな中庭を介して増築をして、
ほぼ同じ大きさの客間を建てている。

 
増築された奥の間の裏側にはまだ細長い土地が残っており、そこは庭園と負うよりは野菜畑で 
あったようだ。庭先に小さな祠としめ縄が張られたコウヤ槙の大木が植わっている。以前
ここにマンションが建つ計画が持ち上がった時、ご神木であるこの槙の木が文化財として 
認められ、マンション計画がとん挫したそうである。おかげで富士山も世界遺産となり、
その構成施設の一つとしてこの家が文化財指定を受けたそうである。


富士講の人たちの登山衣装はお寺の巡礼姿と同じで白装束であった。 そして登山の度に
御朱印をいただいて自分へのお守りとし、かつ登山証明書としての意味もあったそうである。
一種の死に装束でもあったようだ。今のように5合目まではバスというわけにはいかず、途中
洞穴で夜を過ごすことも多かったみたいで、防寒用のどてらを羽織ったりもしたがそれは
剛力たちが担いで登ったそうだ。


御師宿での食事は下の写真のお盆一鉢が一人分でかなり大きなお銚子が一本付いている。 
下段の四角い箱は弁当箱で小さな写真にあるようにこれも剛力たちが背負って運んでいた。






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Last updated  2016.11.16 10:27:23
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