新疆ウイグル自治区で「暴徒」と警官隊が衝突、27人死亡 中国国営通信
AFP BB NEWS 06月26日(水)18時55分の配信です。 新疆ウイグル自治区で「暴徒」と警官隊が衝突、27人死亡 中国国営通信 中国・新疆ウイグル自治区のトルファンにあるウィンドファーム(風力発電基地、2008年11月26日撮影、資料写真)。(c)AFP【6月26日 AFP】中国国営新華社(Xinhua)通信は、26日に新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uygur Autonomous Region)のトルファン(Turpan)近郊で「ナイフで武装した暴徒」に警官隊が発砲し、少なくとも27人が死亡したと報じた。衝突が起きたのは新疆ウイグル自治区の区都ウルムチ(Urumqi)から280キロ、トルファンから100キロほど離れた地区。新華社通信は、地元当局者の話として、警察署と自治体庁舎を襲撃した暴徒に警官隊が発砲したと伝えている。警官隊が発砲する前に17人が死亡し、警官隊の発砲で暴徒10人が射殺されたという。負傷者も出ており、地元病院に搬送された。新疆ウイグル自治区の人口900万人の大半はイスラム教徒のウイグル人。その多くは中国当局から宗教弾圧、文化弾圧を受けていると非難の声を上げており、暴動や衝突が繰り返し起きている。(c)AFP私見です。中国の内乱が表に出る事がすくなく、今回の新疆ウイグル自治区でのトルファン近郊で「ナイフで武装した暴徒」に警官隊が発砲し、少なくとも27人が死亡したと報じました。伝統的には、テュルク系民族が多くペルシア語で「テュルク人(トルコ人)の土地」を意味するトルキスタンと呼ばれていました。現在の国境を越えた幅広い地域の一角として、中央アジアの文化圏に属してきました。唐代後期、ウイグル帝国の支配下に入り、9世紀、ウイグル帝国が瓦解した後にも、ウイグル人の残存勢力による支配が続いきました。13世紀、モンゴル帝国の勃興によりその支配下に組み込まれ、チャガタイとその子孫により支配されます。16世紀に至りヤルカンド汗国が地域を統一しましたが、17世紀末ジュンガルに征服さてしまいます。18世紀、清のジュンガル征服にともない支配下に入り、「ムスリムの土地」を意味する「回疆」、「(新)しい(領)土」を意味する「新疆」などと清朝側から呼ばれました。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れましたが、左宗棠により再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれて新疆省となります。辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われました。これに対して1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族国家東トルキスタン共和国の建国がはかられましたが、国共内戦後の1949年に再び共産党支配下の中国に統一され、1955年に新疆ウイグル自治区が設置されます。※「東トルキスタン共和国」は歴史上2度にわたり、それぞれ別々の地域を拠点として樹立され、いずれも一定の期間、東トルキスタンの一部において実効的な独立政権を実現しました。現在はアメリカ合衆国に東トルキスタン共和国亡命政府の本部が置かれており、中国を侵略者であるとしています。中国では「東トルキスタン共和国」という名称を使用することは避けられ、三区革命と呼ばれていますこの地域は中央から遠く民族の独立心が高い為度々、内乱(民族紛争)が起きています。2009年7月5日に中国の東トルキスタン支配に抗議する大規模なデモがウルムチで行われ、武装警察の鎮圧によりウイグル人1,500人が射殺されたとされています。その後、1万人のウイグル人が行方不明となったと世界ウイグル会議は訴えています。なお、中国政府は、事件翌日からウイグル自治区全域で一軒々々を家宅捜索してウイグル人男性4,000人以上を拘束したことを発表するとともに、犠牲者のほとんどは漢民族であるとしていました。中国政府の情報操作でかなりのウイグル人の犠牲者が、闇から闇へ葬られました。2012年5月14日には東京で世界ウイグル会議代表者会議が開催され、会議後に靖国神社への参拝が行われるとともに、ラビア・カーディル代表から東京都による尖閣諸島購入の資金が寄贈されました。また、中国政府がどこの土地であっても「歴史的に我が国の領土」と主張していることを非難しています。例え小さな事件でも国外へ内乱の一部が漏れる事は、インターネットによる世界的な情報の共有化と地球を回っている監視衛星が死者の数や内乱そのものを映し出し、中国内に隠し通せなくなった証拠でもあります。内モンゴル自治区、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)、チベット自治区、(ラサ)など、現在自治区から独立を求める民族が漢民族の支配層と小競り合いを行い、稀に「焼身自殺」による抗議が世界に配信されます。本当の独立の為の運動は数も多く中国政府も漏れだすのを防げない状態です。中国で小さな民族運動が報じられたならばその十倍の大きさの運動があり事実は闇へ葬られたと考えるべきでしょう。ヒゲでした。