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テーマ:暮らしを楽しむ(384452)
カテゴリ:ミニマルに暮らす
しいたけ.さんの先週の「水瓶座」の占いのなかに。
今、多くの人々が。 窓から見える、いつも通りの春の景色のうららかさと、 その一方でメディアから流れる、世界中の、 そして日本中で起こっている現実とのギャップに。 その明るさと暗さの織りなす「矛盾」に参ってしまう人々がとても多い中で、 水瓶座だけは、そのダメージに強いです。 とありました。 なぜか。 この「矛盾した世界」こそ、 間違いなく水瓶座がいつも持っている、 もともと持っている世界観だから、なのだそうです。 だから、あなたは淡々と、今ある二面性の世界を生きてみてほしいです。と。 水瓶座自体、もともと「二面性人間」だからね!ということなのかな? 水瓶座って、レコードみたいに「A面とB面を持った人たち」とも以前おっしゃってた。 明るい明るいA面のシングルカット曲と、やたら暗ーいB面の曲。(時に名曲が潜むことも) そうか! そうかもしれん!! という なんだかちょっと勇気をもらえたような気持ちになりました。 ![]() 今回のタオル総入れ替えは、とっても心が元気になりました!効果絶大!でした ヽ( ´▽`)ノ このたびの事態に見舞われてから。 身近な人の「本性」みたいなものを目の当たりにし、 「あああ・・・」とか「ええっ!?」と思うような何らかのことが どなたさまにおかれましても おありだったのでは、と想像するのですが、 それは「他の人に対して」に限ったことではなく、自分の本性にも。 本性、というより、 本当の「自分らしさ」の輪郭がえらくはっきりとしてきて、 本当の私ってこんなことを考えてたの!?望んでたの!?と 自分でも知らなかったような自分が顕在化してしまって、 戸惑ったりびっくりしたりする方もあったかもしれません。 人は、社会的な生き物です。 対社会、対他人で生きることを求められます。 常に、常に、求められてきました。 ところが。 今、こうして一時的に、 多くの人と接触してはならない、という 「家族以外との断交」みたいなことが起こって。 服とか、靴とか、バッグとか、お皿とか、あらゆる持ち物とか、 職業とか、キャリアとか、住まいとか、趣味とか、人間関係とか。 こんなもの要らなかったや、と はたと気づいてしまったものがあるとすれば・・・ それはきっと、たぶん。 これまでは「自分のため」「自分の意思」だと信じていたものごとが、 本当のところは「他人の目」「周りの目」を意識していたがため、 だったのかもしれません。 わたしたちの暮らしは、 他人や周りの目に翻弄されない、とても自由なものになってゆくのかもしれない。 ![]() 届いた時にはこんな感じのバスタオル。 1回お洗濯をいたしますと・・・ *************************************** 失言は本音だ、という言葉を聞いたことがあります。 失言(本音)をうっかり漏らしてしまうことに対し、 ふだんは多くの人が気をつけているのは、 それは「こんなこと言ったら嫌われてしまう」という「対他人モード」の自制のブレーキが、 いつも強めに発動しているから、なのだと思う。 他者からのジャッジを怖れている、というような。 ちょっと仮面をかぶっているような。 今、自分だけと向き合うような時間を、急にたっぷりと与えられたことで、 自分の中の「大量の本音」が漏れだすのが止まらない!!という方も、 もしかすると多くいらっしゃるかもしれませんね ( ´▽`) そういう発信を読むのは・・・とても興味深いです。 本音って、ふだんは本当にうまく「隠されて」いるでしょう? 自分でもなかなか気づけないままでいるようなことも沢山ありますから。 本音は、尊い。 長年「外なるもの」に対し取り繕ってきたかもしれないことに次々と気づき、 今、「内なる声」にだけ、自分の心の奥にだけ耳を傾けてみたら・・・ 本当の自分って、こんな人だったよぉ (´;Д;`) ! というような 大発見。 仮面を脱ぎ捨てる時。 ![]() こんなにふんわりになります。まっ白で、とっても嬉しいよー 眩しいよー ヽ(;▽;)ノ **************************************** くらためちゃんの先日の日記に。 今も服を買う。今だからこそ買う。 (人と会うことのなくなった)今も服を買おうとする人は、 どうやら、もともとずっと「自分のため」だけに買っていた人のようだ、と。 他人の目を意識して服を買っていたんじゃなくて、 誰に会うことがなくとも、自分のためにそうする人。 そうしていたい人。 そういう人が、どうやら一定数あるようだ、と。 そんな、くらためちゃんの「大発見」の日記を拝読しました。 この「一定数」という 彼女の言葉の選択に、グッときた。 すなわち「みんなみんな」ではない、ということ。 ![]() こちらのちょうどいい厚みのフェイスタオルは240匁。「匁」は(もんめ)と読むのですね。 *************************************** みんながみんな おしゃれや服が「本当に好き」 なわけではない。 これまでは、みんな、みんな、みんなそうだった、 そう見えていた、というようなことから、 ほんの一定数だけ、を残して「さよなら」のときが訪れたのかもしれない。 人目を意識しての装い、誰かと似た身なり、だったのかもしれない人々が・・・ どんどん「さよなら」をしてゆく。 本心に気づいて、本音に出会って・・・ 旧の世界から「さよなら」をしてゆく。 ***************************************** そう思うと。 ものすごいことが起こっているんだなあ。 どちらがどうだ、ということなのではなくて、 「みんなちがう」ということ。 ただそれだけのこと。 ただそれだけのことなのに、これまでは、それがとても難しかった。 これまでは、なるだけ「みんなと同じ」でいなきゃ叱られそうで、 この国は、とても。 みんなと同じでないと、とても とても とても とても 生きにくかった。 そうじゃない「新しい世界」が、おそらく、もう 始まろうとしている。 それぞれの家庭の中では、もう、おそらく すでに始まっている。 ![]() みんなちがう。 みんなみんなちがう。 それでよかったはずなのに。 人目が気になってしまって、 これまではどうしても自由に振る舞えなかったことや、 実は無理をしていた、というようなことが 次々と取っ払われ、手放され、排除され、「さよなら」して・・・ 人々は。 いよいよ「自分に正直に」生きられるようになるのかもしれない。 ************************************** こうなったことで手放せることは、たぶん「偽りの自分」だった部分。 こうなっても手放せないことだけが、 それでも残ったものこそが「本当の自分の姿」なのかもしれないですね。 **************************************** 「進化論」のダーウィンは。 ご自分の娘さんを、わずか10歳ほどで(おそらく結核で)亡くされていて、 なぜ自分の娘が亡くなったのかを必死に考え、苦しんだことが・・・ 進化論を説明する上での核心となる「自然選択(自然淘汰)説」の思想・見解に至ったのだ、 と言われているのだそうです。 生物の「死」は、「神」や「罪」とは何の関係もなく、 自然の過程のひとつにすぎないのだという、ダーウィンの秘めたる信念。 厳しい自然環境こそが、生物の進化に方向性を与えるのだ、という説。 1851年ごろの出来事なのだそうですが。 淘汰の先にしかたどり着くことのできない思想や方向性、というこの考え方は、 今起こっていることにも、もしかすると共通するのかもしれません。 ************************************* 情報が多すぎて頭がぱんぱんになってしまった現代人のための「現代版進化論」。 選択と淘汰。 今こそ 自分らしい生き方を「選択」し、 そして 自分らしくなかった物事を「淘汰」してゆく時。 一見 不自由極まりなく感じてしまう自粛生活の中でこそ。 わたしたちは。 周りの目を気にしない「本当の自由」を、 ようやく 手に入れることができるのかもしれません。 おわり ↓ 更新をお休みさせていただいた日にも、 訪れてくださった方、バナーを押してくださった方、ありがとう。 にほんブログ村 タオルの総入れ替えがこんなに気持ちがよかったなんて。 小さな感動を、こんなにも大きく感じられるのは・・・自粛生活のおかげ、なのかな。 皆さまが、今日も1日、どうかお健やかにお過ごしいただけますように・・・ ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.04.28 17:22:20
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