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テーマ:ミニマリスト(671)
カテゴリ:靴のおはなし
靴は、結局「4足」で大丈夫だったのでした。
冬のニットやストールがグレーだから必要だと感じていたこのパンプスも、 手放してしまえば、困ることもなく。 やっぱり必要だった!と泣くこともなくて。 靴は結局。 「白」と「黒」があればいい、というところに、潔く着地。 グレーのパンプスも、 もしも今も手元にあったなら、もちろん履くのだと思います。 けれど、なくても大丈夫だった。 そういう、 「嫌いになった」とか「ボロボロになった」というわけではないものを手放すことは、 いまだにとても勇気のいることですけれど、 勇気をもって手放せば、 なくてもやっていける、大丈夫!という感動に、わたしは毎回、出会う。 手放した瞬間にはまだわからない、後になってじわじわと押し寄せる感動。 あの決断は間違いじゃなかった、という・・・ 捨てた未来にしかわからない、 これは、捨ての「答え合わせ」。 **************************************** 不安の強い人は、不安に振り回されて動いてしまう。 まだ使うかもしれない。 手放せば後悔するのかもしれない。 そういう「不安」や「嫌な予感」って、当たるんですよ。 誰かに指図されて捨てたり、 嫌々の気持ちで捨てたときなどには、特に当たる。 というか「当たって欲しい」と、捨てた本人が願っている。 だから。 その「ほら!不安が当たったぞ!」という「成功体験」は、 いや「逆成功体験」? は。 「強烈な快感」として、深く深く記憶に刻まれる。 ああ!捨てなくてよかった! ↓ 捨てろ捨てろいう人は間違ってる! ↓ やっぱり私の方が正しかったぞ!嬉しい! ↓ これからも私は捨てるもんか!(`・ω・´) キリッ この手の快感を度々味わってしまうことで、 頑なに捨てたがらない人、というのは仕上がります。 不安が当たることの方が嬉しい人、になってしまう。 いつか使うかも、と思って長年捨てられなかったもの。 そう思ってとっておいたものが本当に役に立つことが 長い人生の中では1回か2回か3回くらいはあるのかもしれません。 そのいつか起こるかもしれない、 結局は起こらないかもしれない奇跡を、 タンスや納戸や押し入れや倉庫をいっぱいにして、 たくさんのものを抱えたままで待つよりも。 すっきりとした日常を「いいなあ」思ったり、 少なくなったことの「良い面」を喜ぶ暮らしの方が。 わたしは好きです。 ****************************************** 「捨て」は、訓練。 もともとでなくても、この素質は、取り組めば、身につきます。 ものごとの「損な面」「ダメな面」「悪い面」ではなく、 良い面を感じ取りながら暮らすことの「訓練」。 恐れず手放してゆくことの「訓練」。 ものだけでなく、人間関係でも これは同じですね。 本当に大切な人が少しだけいてくれたなら、充分に幸せ。 その人の良い面を見る。 そのほうが、幸せ。 ミニマルライフは、わたしにそれを教えてくれました。 おわり 今日もお読みくださってありがとう。 ↓ 今日も「読んだよ!」とポチッと押してくださって、ありがとうございます。 にほんブログ村 嫌いになって手放すものばかりではない。 グレーのパンプスは、この懐かしいバナーを消せないくらい、大好きなもの。 けれど今のわたしには、無くても大丈夫。 そういうものって、暮らしの中には、まだまだたくさん隠れているんですよね ( ´▽`)ノ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.07.25 09:12:07
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