|
テーマ:暮らしを楽しむ(384918)
カテゴリ:ミニマリスト家族
生まれたばかりや、
まだまだ知らないことだらけの頃は。 「親がしっかりしなくては!」 「親がどうあるかで子の人生は変わってしまう!」 「いい親であらなくては!」 そんな気持ちで無我夢中で。 必死でした。 保護がなければ生きられない年齢までは、 親には、無論 そのくらいの責任がありますね。 ![]() 親なんて、何にもできない。 そこを知ることこそが子育てなのかな、と。 今は、思うのです。 子のためにわたしが何かできると思って(思い上がって)いるうちというのは、おそらく。 まだまだこちらの、 子ではなく「わたし側」の。 親側の自立が足りていなかった。 ただただ そんな気がするのです。 ![]() 親は子のために、 死にものぐるいで頑張るんですけれど、 もちろん楽しことや笑顔ばかりではなく 苦しいことや涙もたくさんあるのですけれど、 どんなに大変であろうと、 自分の意思で産んだ以上、 そんなことは「当たり前」のことで。 決して「恩に着せるようなこと」ではなくて。 誰にも肩代わりしてもらえない、 それは「わたし」の課題、なのです。 いいえ。 子の父親と母親である 「わたしたち」 の、課題。 ![]() 久しぶりの「スープストックトーキョー」。楽しく選べる8スープセット、です ( ´▽`) 子に対して。 あんなことも、こんなことも、 こんなにしてあげた! なんて思っていた頃のわたしは大馬鹿もので。 親なんて、何もできなかった。 こっちが いつも本当で。 真実で。 いじけるのではなく、 謙虚にそう思えるようになってようやく、 ようやくわたしも少しは「親らしく」なれたのかなあ、と そんな気がしている、50歳のある日の朝。 ![]() 「とうもろこしとパプリカのチリビーンズスープ」は、お初!ですよ。楽しみ! *************************************** こんなにしてあげている!と思っていた頃はね、 子の身に起こった「つらい出来事の話」を聞くのが、 わたしはものすごく苦手だったのです。 耳を塞いで逃げまどいたいくらいに苦手だったのでした。 本人以上に動揺し、 ショックを受け、傷ついてしまうんですね。 一刻も早くなんとかしなければ!と、 わたしが焦ってしまう。 おかしいでしょう? 恥ずかしいです。 でも、本当にそうなのです。 こんな人、いるんかな。 「わたしもそうです!」や、 「かつてそうだったです!」っていう方・・・ 読者さまの中にも・・・いてくれるかな (;_;)? ![]() 甘いスープは「朝食」に。 すっかり沈没してしまっている緑の物体は・・・ ************************************** 「かーちゃんはさ、 もっと肝っ玉母さんにならないとね。」 お子が13歳くらいの頃のことだったでしょうか、 おとーさんからこう言われたことがあります。 本当にその通りで、「正論中の正論」で、 なろうと思ってなれるものならば、 わたしだってなりたかった。 見るに見かねたおとーさんの、心からの助言も。 正論突きつけられ逃げ場を失った当時のわたしには とても追いつめられたような、 「もっとしっかりしてくれよ」と叱られたように感じて。 わたしだってこれでも精一杯頑張っているのに! と。 たまらなく孤独な、 打ちのめされたような気持ちになりました。 あの頃のわたしは「わたしたち」ではなく。 「わたしだけ」で子育てをしているような気でいましたから。 そしてその時はまだ「親は何でもできる」と。 「母親は絶対的な存在であらねば!」と、そう思っていました。 その傲慢さが、どれだけ子を傷つけてきたかも知らずに。 「助けてほしい」と頼ることもできなかったわたし。 どうして頼れなかったんだろう。 可愛げのかけらもなかったのです。 ![]() 巨大ブロッコリーです。自宅スープストックならでは。「追いブロッコリー」できる喜び。 *************************************** 何にもできないのだ。 親なんて、何もできないのだ。 と気づいてからは。 (気づいた、なんて格好いいものじゃないです。 「突きつけられた」「思い知らされた」という感じでした。) 子の「つらい話」を聞くことが、 わたしは徐々にですが、できるようになりました。 ただ、黙って聴く。 どうにかしようとしない。 むしろ、これこそが、わたしの、 母親にできる唯一のこと、 唯一の「役割」だったのではないか。 そんな境地に至りました。 そこを逃げ回っているうちは、子から信頼されることはない。 そこ逃げ回っていた頃のわたしは、子からだけでなく、 恐らく誰からも信頼などされていなかったことでしょう。 ![]() つらい話、どんとこい!! こう思えるようになれるまでが、 わたしは本当に本当に遅くて、 肝っ玉が小さくて、 子の試練や苦境を黙って信じて見守る度胸がからっきしない、というか ずっと怖かった。 「堪えがたい恐怖」だったんですね。 耐える度胸、強さ、しなやかさが、なかった。 (できれば嬉しい話だけを聞いていたいという、 とても愚かな母だったのです。) それすなわち、心が弱かった。 愛が弱かった。 全てを受け止める覚悟がなかった。 子は、それを、必ず見抜きます。 こちらにちゃんとその覚悟が身につくまで、 その課題からは決して卒業できない。 なんども なんども ひ弱な母(わたし)の魂を鍛えるための、 同じようなことが起こるのです。 ![]() しょっぱいスープは「お昼ごはん」に。薄く切ってカリッと焼いたブールを浸しながら。 **************************************** どんと来い! どーんと来いや!! どんなことだって、受け止める。 だから安心して。 わたしたちで。とーさんと、かーさんで、受け止める。 だから、安心して、あなたらしく お生きなさい。 わたしたち夫婦に、 未熟な親に、 こんな経験をさせてくれて、ありがとう、と。 こんな尊い気持ちをまた一つ教えてくれて、ありがとう、と。 いいことが起こったときだけじゃなくて。 つらいことが起こったときにこそ、そう思えたとき。 これが「親心」なのかなあ、って。 「わたしだけ」では乗り越えられない時は、 「わたしたち」で乗り越える。 これが「夫婦」であることの意味なのかなあ、って。 今さらなから 気づくのです。 ![]() 家族が何かに挑戦し、立ち向かい、 試練を乗り越えるとき、というのは。 励まし合い、支え合い、信じ合い、 そして人として尊敬し合うことのできる、 かけがえのない瞬間。 もはや「親」も「子」もない、 同じ志(こころざし)を持った・・・ 大切で、対等な、そう。 「仲間」だ。 ![]() こんな風に届きます。 8種類の幸せ。 ほとんど一人で食べちゃうのよー(笑) *************************************** 人生に起こる試練は、だから。 「つらいこと」や「わるいこと」なのではなくて、 本当は「たからもの」なのですね。 お互いの成長のために必要なことが起こっているのだ、ということ。 必要だから起こったのだ、ということ。 その時にはすぐにはそう思えなくても、 いつかそのことの起こった意味、理由が、 はっきりとわかるときが 必ずおとずれる。 ああ、このためにあの日あの出来事はあってくれたのか!と。 人生って、すごいですね。 そして。 「家族」って 「夫婦」って 「仲間」って 「人間」って・・・ いいですね (;_;) おわり 家族が、ある試練を乗り越え、 にほんブログ村 きのう、待ちに待ったうれしい知らせがありました。 にほんブログ村 今日、このお話聞いてくださったあなたさま・・・心から ありがとう。 にほんブログ村 いつもポチッとしてくださって、ありがとう ( ´▽`)ノ 読者登録をしてくださっている1098名ものみなさま・・・ 更新を待っていてくださるみなさまに、わたしがどんなに励まされていることか。 楽しみに待ってくださるお気持ちを、いつもありがとうございます ![]() : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.02.28 11:57:17
[ミニマリスト家族] カテゴリの最新記事
|