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テーマ:暮らしを楽しむ(383645)
カテゴリ:捨て部
捨てることや 手放すことは、得意ですか?
それとも、苦手ですか? もう使わないような気がして、捨てたいものいっぱいあるのに それでもやっぱり「怖くて」なかなか捨てられない時って、 しんどいですね。 このおやつに似合う服は、この一択! おやつに合わせて服を選ぶ、という恒例のお楽しみ。 ********************************* 「怖くて」って、一体何が怖いのかと考えると、きっと。 いつか使うかもしれないのに 捨ててしまって、 捨てた後に必要になる、あの悔しさが怖い。 また買い直す時の出費が怖い。(もったいない!) 捨てなければよかった! という悔しみ。 もう一度お金がかかる「損した!」という気持ち。 そういうのをひっくるめて、きっと。 「怖い」と勘違いしているのかもしれないです。 あと、自分の心の中だけでもそういう恐怖心と闘っているのに、 家族と暮らしている場合などには、 その捨てたことや買い直したことを 家族から怒られたり責められたりする怖さ、もあるかもしれませんね ( ;∀;) 捨ててよかった! というのは「未知なる爽快感」で。 失敗した、とか、怒られた、というのは、 「これまでうんざりするほど知っている嫌な経験」で。 いやな記憶の方を握りしめがちなところは・・・ どなたさまにも 多かれ少なかれ、あるのだと思います。 わたくしも、ありますよ ( ´▽`) じめじめした暑さの日に、乳脂肪分の高いアイスクリームなど食べておれん!!というとき。 ******************************* 手放す時は、やっぱり、一瞬は「怖い」のです。 そのままにしておいた方が楽なこともあるかと思います。 それでも向き合って、 手放しても平気だった!という経験を重ねることではじめて、 その方が気持ちがいい!ということを学んだり、 人は、だんだん「慣れて」ゆくのだと思います。 だからといって、酸っぱすぎるとか、水っぽいだけの氷菓では物足りないのよ!というとき。 フローズンヨーグルト。 冷凍庫から出して、少し時間をおいて、ザクザクにしながら!! *********************************** 一旦はなくても大丈夫と思えて捨てたものでも、 何年か経って、必要になって、こんなに履くものもある。 「手放し」と「手に入れ」の、見極めの・・・ これが一番のむずかしさなのかもしれません。 こればかりは、どなたかにお尋ねしてどうにかなるものではないから、ね。 わたしの中で、一度捨ててしまって、買い直すことになって。 「けれど 買い直してとってもよかった!」 というものの筆頭に上がるのが この「長靴」です。 わたくしがめっちゃこの長靴履きまくっていることや、 こんなに履くのなら買い直しても無駄じゃなかったね、ってことは、 わたくしだけでなく、 いつも日記をお読みくださっているあなたさまも、 同じように感じていてくださることかもしれません。 では、長靴捨てたみんながみんなそうであるかというと、 それもまた違って。 たとえば「長靴捨てても大丈夫でしょうか」 「長靴ないことで困らないでしょうか」と、 一人で決められないと、 つい失敗が怖くて誰かに質問したり、 助けを求めたくなってしまうのだけれど・・・ これは、自分が捨ててみないと 本当にわからないです。 だから、迷うなら、一度捨ててみると、いいよ。 こちらは「ミルクプリン」。生クリーム層と、プリン層と、2層に分かれているの見えるかな? ********************************* 迷いながら手放すと。 やったー!スッキリしたー!という時期が、まず最初にあって、 ※ もうそれだけで十分に価値がある、とわたしは思います。 よし、捨てても平気だったぞ、と 思い出してはニヤリとほくそ笑む時期を経て、 いやー、長靴いらなかったわあ・・・と、 しみじみと振り返りたくなる時期があり、 何年も何年も「本当に平気な時期」「不要な時期」というのが ちゃんとあり、 そして! ところが! 突如! ある日!!! うわ、こんな土砂降りの中を歩くことになるとはー (´;Д;`) という 予想だにしなかった状況が、 避けて通ることのできない種類の出来事が、 何の前触れもなくおとずれる。 それは人によってあるかもしれないし、ないかもしれないし、 全く違うから、誰にもわからない。 でも、それで、いいのです。 その失敗を恐れてばかりいたら、本当に、何にも捨てられない。 まずはそのままいただいて、くぼんだところに、さっきの別添カラメルソースを ( ´▽`) ♪ **************************************** そこを意地はって突破して、 一度捨てたものなど何としても買ってなるものか!と抗うこともできたかもしれないけれど、 わたしは素直に買い直しました。 手放してみて、どうしても必要だとわかったら、また買えばいい。 その時はまた、その時の「本音」に従えばいい。 これを頑なに禁じてしまうことで、 何かを手放すことに対し、人はとても臆病になるのかもしれません。 これを自分で自分に柔軟に許し、よかった、という経験を積むことで、 何かを手放してゆく勇気が育つ、のだと思います。 そう。 勇気を育てる。 *************************************** 2015年の夏。 hunter の長靴、捨てなければよかったのか。 捨ててしまった負け惜しみではなく、 それはまた「やはり違う」と、わたしは思うの。 一旦手放してみて、の、今がある。 距離をおいてみて、の、今がある。 全て経験してから、の、今がある。 自分で経験して感じた、ということの意味の大きさ。 そこを知らぬままに 挑戦せぬままに 「いつか使うかも」という強い信念でもって 悶々と、あるいは頑なに、 またはとても邪魔に思いながら hunter 持ち続けていたとして・・・ いつの日にか本当に「出番」が訪れたとしても、 それが本当に幸せなのか、正しかったのか、という比較は、 比べようにも、 ちょっと一概には比べられないところがあると思うの。 ************************************** ただ、わかるのは。 ずっと昔に買った長靴を、 今よりもうんと若い頃のわたしが買った、 その時の、30代の趣味や好みや感性で選んだ長靴を、 幸いにも? 不幸にも? ずっと捨てずにいたとして、 51歳になった今、いざ、履いたとして。 きっとあまり嬉しくはなかっただろうな、ということ。 捨てなくてラッキー!とは少しは思ったかもしれないけれど、 この長靴のように、 雨の日や雪の日のわたしを、 こんなに安心させたりウキウキさせてくれたりは できなかっただろうな、ということ。 そんな「パワー」は、 あの長靴には、もう残されてはいなかっただろうな。 服やものには、 それが発する「パワー」「エネルギー」のようなものが必ずあって。 そしてそのパワーやエネルギーというのは残念ながら永遠ではなく、 尽きるときが、必ずくる。 人にも その時その時のパワーやエネルギー、 目には見えない「波動」のようなものがありますから、 エネルギーの尽きたものを持つと・・・ どこか「あ、尽きてしまった」と、わかるのです。 ものは、使わなくても古くなりますから。 1秒ごと、古くなりますから、ね。 「なんか、全然うれしくない」という感情と体感で、 人は、気づきます。 包装紙もかわいかった!こんなの夏のギフトもらったら嬉しいな!って思いました ( ´▽`) *********************************** わたしも、あなたも、パワーに満ちていて、 その日身につける服や靴や持ち物も 同じくらいのパワーが満ち満ちていてくれたなら、 それって、「最高!」だと、 最強だと思いませんか ( ´▽`)? ************************************* まずは わたしの日記で 疑似体験してもらって、 ものの少ない暮らしを想像してもらって、 ちょっと試してみようかな、って そんなきっかけになれることがあったなら、嬉しいなあ。 本当に嬉しいなあ ( ´▽`) もうすぐこのブログは7年目に入ります。 これからも、そういう気持ちで、日記、書きます。 おわり 今日もお読みくださって ありがとう。 ↓ いつも「読んだよ」と、ポチッと知らせてくださるお気持ち、ありがとう! にほんブログ村 心おだやかな、お健やかな、佳き1日となりますように。 ↓ 「50代主婦日記ブログ」のカテゴリからの応援も、 にほんブログ村 毎日、とてもうれしいです。 ありがとうございます ( ´▽`) フォローをしてくださっている たくさんのみなさまへ。 更新を楽しみに待ってくださるお気持ち、いつも励みになっています ( ´▽`) : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.06.20 15:10:18
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