スチーブン・ジョブズさん
アップル社の最高経営責任者のスチーブン・ジョブズさんがその職を退くことを発表しました。会長職や取締役はそのまま継続するようですが、やはり健康状態が望ましくないのでしょう。2004年に膵臓癌の手術を行い、2009年には肝臓移植をしていました。今年1月になって再入院していましたが、やはり治療に専念する道を選択したのでしょう。一時的ではありましたが、エクソン・モビールを抜いて時価資産額がアメリカ一の企業となったのも一つの区切りだったのかも知れません。一つの時代の変化を感じます。私がアップルという変った社名を初めて耳にしたのは1980年のことでした。「凄いベンチャー企業が暮に株式公開する。その会社の名前はアップルだ」ということでした。現在の社名はApple Inc.ですが、当時の社名はApple Computers, Inc.でした。スチーブン・ジョブズさんとスチーブン・ウオズニックさんの二人が会社を始めたのは1976年の4月1日でしたが、法人化したのは1977年の1月3日でした。アップルの名前はスチーブン・ジョブズさんが昔オレゴン州のリンゴ農園で働いた経験からだとか、アルファベットの順番で、当時シリコンバレーで有名だったアタリ社より電話帳などで前に来るからとの理由などが噂されました。確かにAppleの方がAtariより先に来ます。株式公開が1980年12月12日でしたが、大評判を呼び、高値が付きました。その公開により300人以上の百万長者が生まれたと騒がれました。私など当時は株になど関心はなく、またあっても金もなかったですが、私の知っていたあるアメリカ人はもともと補聴器の販売をやっていたそうですが、アップル・コンピューター社の最初の商品Apple 1やApple 2などを販売する会社に模様替えし、大いに儲かりました。その後の同社の躍進は皆様のご存知の通りです。1980年代はアメリカでもベンチャー企業花盛りでしたが、パソコン業界でのアップル、バイオ業界でのアムジェンが二大スターでした。しかしその後、公開企業となり、多くの投資会社や企業が株主として参画する中で、再興経営責任者として株主たちは大手企業ペプシコーラの社長をアップル社の最高経営責任者とし、その後、会社内の権力闘争でスチーブン・ジョブズさんは1985年に自分の作った会社を追い出されます。その間にアップル社は会社創造時期の情熱や輝きが消えました。そして1996年にまたジョブズさんが復帰しました。それからは音楽業界でiPod,携帯電話業界でiPhone,そしてエンターティンメント業界でiPadと時代を切り開く新機軸の商品を開発し、世に出して来ました。現在までの数字で、世界中で3億1千4百万台のiPod,1億2千9百万台のiPhone,2千9百万台のiPadが販売されたそうです。驚異的な数字です。私はジョブズさんがアップル社を追い出された後、設立したネクスト社で彼と一緒に働いた日本人ビジネスマンの方を良く知っているのですが、彼の話によると、ジョブズさんの美的センスは素晴らしく、アップル社の商品がデザイン的に優れているのは彼の厳しいまでの美意識だそうです。ジョブズさんの一番好きな色は黒で、彼は会社でもいつも黒のTシャツを好んで着ていたそうです。ネクスト社は必ずしも成功とは言えませんでしたが、彼はアニメ映画などのCGに優れた技術を発揮したピクサー社で大成功しました。その成功がアップル社の最高経営者への復帰の原動力となったのかも知れません。彼の常に先を見通す時代感覚や創造力は有名でしたが、彼のコミュニュケーション能力も素晴らしいでした。スタンフォード大学の卒業式での彼のスピーチなどは実に感動的です。彼はまだ56歳です。元気であれば、もっともっと活躍出来るでしょう。今回の引退はその点で誠に残念なニュースです。一つの時代の終わりを感じます。願わくば、奇跡が起こり、彼の病状が良くなると嬉しいのですが。(終り)