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書評日記  パペッティア通信

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Nov 3, 2006
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カテゴリ:社会
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(この日記は1からの続きですので、こちらからお読みください)



▼   「スパイM」は、シンパの金持ちの子弟に、家や銀行から多額の金や株券の「持ち逃げ」をさせ、32年3月から10月までの間に、9万円も稼いだらしい。 また、ゴロツキを集めて戦闘訓練をおこない、ギャング団まで組織したという。 その中には、戦後右翼の黒幕までいたというから、舌をまく他はない。 「スパイM」は、共産党を極左暴力集団に仕立て上げたい、毛利基・特高係長の意を汲んで、「エロ班」を結成。 生真面目な党員の献身的活動によって、女子大生を美人局(つつもたせ)にして金を巻きあげたり、エロ写真をとる活動まで手に染めさせてゆく。 これには、平塚雷鳥の激怒を始め、女性シンパの離反を招かないはずがない。 その行き着く先が、銀行強盗、いわゆる「川崎第百銀行大森支店襲撃事件」であったことは、いうまでもないだろう。 なぜなら、革命は一番大きなギャング。 革命という目的のためには、いかなる手段を採ろうとも許されるのだ。 


▼   実は、毛利・特高係長でさえ、銀行強盗の話は知らなかったらしい。 極め付き優秀なスパイは、「2重スパイ」を帯びざるをえない。 「スパイM」と同様の、過激派の最高幹部=警察当局のスパイという図式は、ロシア革命時期、社会革命党戦闘団にも見られるらしいが、この組織の頭目だったアゼフは、スパイにも関わらず、否、スパイであるからこそ、ロシア帝国内相プレーヴェを暗殺してしまう。 アゼフとMとの違いは、革命的情勢の有無に着せられるにすぎない。 アゼフの活動は、社会革命党の信用を地に落としたものの、ボルシェビキの革命につながっていく。 しかし日本では………。 スパイMの犯罪が明らかにされると、日本共産党の信用は地に落ちた。 スパイMは、熱海事件以降、歴史の闇に消える。 その後の歴史はいうまでもあるまい。  スパイMは、満州にわたって、兄と建築業を営む。 帰国後は、共産党に報復されることにおびえながら、その生をおえる。 享年62 


▼   「教会に行くか、バーに行くか、共産党員になるかしかない」といわれた戦前。 共産党もまたファッションだったという。 本気で革命をおこなおうとしていた当時、日本共産党幹部は、岩田義道を始めとして、拳銃を所有していたのに対して(第二次共産党の領袖、渡辺政之輔は銃撃戦の末、射殺)、警察の側は、せいぜいサーベルをぶら下げていただけ、とか、意外な事実に驚かれるであろう。 共産党幹部が料亭の待合を利用したのは、待合には臨検がなかったためとかは、当時の社会慣習を感じさせてたいへん面白い。 


▼   また、ロシア革命を成功させたボルシェビキは、赤色ギャングや紙幣の偽造をおこなっており、実行部隊の指揮者はスターリンだったらしい。 う~む、北朝鮮は、スターリンを真似ただけなのかー、な~んだ ……… って感心させられてしまう。 


▼   何よりも、このノンフィクションを面白くしているのは、スパイMの対極に位置した、毛利基・特高係長について、キチンと描ききったことにあるだろう。 スパイMによって、異例の出世を遂げ、「毛利は俺が出世させてやったようなものだ」とまで言われた毛利基。 かれは、小卒の巡査がキャリアのスタートだったという。 人柄もよく、丁寧な性格。 猛勉強で特高畑のエキスパートになる。 終戦時、埼玉県県警本部長。 常に数珠を身に着けて、任務にあたっていた彼は、「オレはウソをいってリーダーシップをとってきた。国民に合わす顔がない」という言葉を残して、辞表を提出した。 スパイMと、毛利基。 対極でありながら、出自・性格とも似た2名が織り成した、重層的な物語。 どちらが欠けても、この物語は存在しなかったといってよい。


▼  実は、今も「スパイM」は、生き続けている、といったら驚かれるであろうか。 飯塚本人は、唱和40年9月4日に死亡したものの、それはニセの戸籍上でのこと。 火葬場で火葬を拒否されそうになったらしい。 今もなお、戸籍上では、生きていることになっている。 武装共産党を売った、スパイ小曾根勢四郎。 山本正美たち3名の中央委員を売り、「蟹工船」「党生活者」で知られた小林多喜二を売って、一人で組織を壊滅させた、スパイ三船留吉。 リンチ共産党時代、宮本顕治に査問された、スパイ大泉兼蔵。 政治組織にスパイを入れるのは、戦前だけの話ではない。 戦後、日本共産党において、最高・最大の機密決定であった、野坂参三・名誉議長の除名決議。 しかし公安警察は、発表1時間前に、スパイによって、最高機密を入手していたというのだ。 また、一水会のように、当局に情報を渡さない右翼には、厳しい弾圧をおこなう公安当局。 スパイMは、あなたの周りのどこにでもいて、今もその情報を送っているかもしれないのだ ……… と、言ってみたくなるというもの。


▼  難点としては、「スパイM」の戦後が余分に感じられることにあるかもしれない。 


▼  そんな、余裕があるならば、野呂栄太郎時代の共産党や、大泉・三船の事件を丁寧に描き、戦前共産党の最後をかざる「リンチ共産党」まで描いてほしかった。 恒常的にスパイが生まれている中における、筆者の強調したい「Mの特異性」が、いまいち感じられなかったからだ。 また、スパイMの凡庸な戦後を描くのであるなら、共産党を当局に売り渡した他のスパイたちの「戦後」についても、触れても良かったようにおもう。 そうなれば、さらに重層的なスパイの物語になっただろうに。 なんとなく物足りなさが残るラストだったことは否めない。


▼  とはいえ、何よりも驚くのは、このような本が、渡部昇一や東条由布子など、売れ筋の計算がたつ、右翼関連の書物ばっかり出版していた、ワック株式会社から出版されたことにあるのではないか。(笑) 何か心変わりでもしたのならば、うれしい限りである。 このような良書を今後も出版してもらうためにも、ぜひご一読をお願いしたい。



評価  ★★★☆
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Last updated  Dec 14, 2006 12:48:45 AM
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