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カテゴリ:福島・宮城の地元ネタ
6月20日付の福島民友紙上において、福島県放射線リスク管理アドバイザー・山下俊一氏へのインタビューが掲載されています。いろんな意味で興味深い内容だったので、ここに全文を紹介します。
福島第一原発事故から100日以上が過ぎたのに、放射線に対する県民の不安が収まらない。批判の矛先は事故を収束できない東京電力と政府だけではなく、不安解消への対応が遅れた県、さらには、県が県民の放射線理解のために委嘱した県放射線健康リスク管理アドバイザーへと向けられている。特に山下俊一氏アドバイザーは、その発言に関してインターネット上などで賛否の議論が激しく交わされており、こうした事態をどう考えているのか。 県の放射線健康リスク管理アドバイザーは3人。県民全般の健康管理を担当、県が今月から始める全県民対象の健康調査では計画を主導する立場にあるのが山下氏だ。 Q「不安が広がる現状をどう認識しているのか。」 A「放射線が見えない、におわない、音もしないという漠然とした不安から、具体的な不安に変わった。放射線の(年間積算量の上限)20mSv(2万μSv)がクローズアップされ、独り歩きしている。しかし、どう理解するかの解釈が説明されていないのが、一つの混乱要因だ。今は『非常時』で『平時』ではないのに、情報災害、情報洪水というべきか異なる意見が自由に飛び出して、数値のレベルだけを議論している」 山下氏の発言の背景には、100μSv以下の低い放射線を長時間受けた場合の健康への影響など、放射線被ばくをめぐる世界的な論争が、県民の茶の間にそのまま持ち込まれている状況がある。 専門家でも決着していない低線量・長期被ばくの影響を、県民に分かりやすく示そうとして、山下氏は逆に猛反発を買った。 Q「20mSvの基準について、どう考えているのか。」 A「100mSvを受けた遺伝子(DNA)の傷に比べ、20mSv、1mSvを受けた時の遺伝子の傷は圧倒的に小さい。一方、遺伝子は修復する力があり、傷が少なければ直してしまう。国際的な政策論で被ばくは100mSvを超えてはならない―とされているが、これ以下で住民の安全をいかに確保するかというとき、20mSvは厳しいレベル。事故が収束していない段階では理にかなっている。『平時は1mSvだから』と言われるが、現実的に(放射性物質が降下し)それは不可能で、文科省は段階的にしか下げられないし、今後も根拠になる」 山下氏は講演で「福島県民の覚悟が問われている」と発言しているが、意図が県民に伝わっていない。アドバイザー選任に関しては県議会でも質問があり、福島大の若手研究者有志は県に要望書を出すなどした。 Q「覚悟とは、何か。」 A「福島の人は原発事故と放射能汚染で、一人では背負いきれない大きな重荷を負った。我慢の時に誰かが重荷を背負う取り組みが必要。将来がんになる恐怖に対し、リスクをどう判断するか、自分自身の覚悟が問われている。去るのも、とどまるのも、覚悟が必要」 Q「専門家ではない母子は判断できないのでは。」 A「自分の子だけがかわいいでいいのか、利己的では解決できない。心をオープンにしないと共に重荷は負えない。チェルノブイリでは政府が情報公開せず、政府にだまされた。国が崩壊して突然情報があふれ、住民は不安の中で逃げろと言われた。われわれは福島の応援団で『チェルノブイリにするな』『人心を荒廃させない』と考えている。福島で頑張ろうという人がボランティアで、日本全体で支援するということを、県民も理解してもらわないといけない」 Q「自己判断では、原発災害の補償対象にならないのではと不安になる。」 A「過保護を否定はしないが、子どもには苦労をさせるべきだ。ストレスの中できちんと自己判断する苦労。○×の答えがないグレーゾーンでリスクと便益を判断する。海図のない海に出るのが、覚悟の意味です」 山下氏は「政府の御用学者」の批判に強く反発し、原子力政策や政府の現状を批判する。ただ、放射能汚染下での教育、復興を担う人材育成を強調する山下氏の理念は、自分の家族を今必死に守りたい県民の間に浸透できるのか。山下氏は放射線の単位などが一応知られた震災3カ月以降、医師らに協力を求め、放射線の理解を広げたい考えだ。 「僕と県民の我慢比べだね」 感じ方は、人それぞれかと思います。 個人的には、山下氏に強い信念と覚悟があることだけは、理解できました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.06.22 14:57:25
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