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リコハウス

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2019.11.04
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カテゴリ:70歳

当時(1960年頃)の家庭のトイレはポットン式、お風呂は五右衛門風呂(木を燃やして湯を沸かす)、炊事はかまどと七輪だったので、燃料の元となる太い木も火付け用の枝木も必要だったし、七輪の炭に火を付ける消し炭も残しておく必要があった。(昔のこたつは、炭を燃やしていた。)


秋口になると、山林を持っている地主さんにお願いをして、燃料にする為の1年間に使用する分の木々を切り出し、運び出し、持ち帰る運搬等の作業をしていた。
これらは大仕事であったし、この作業をする日は、一日がかりなので、大体、日曜日か祭日に行き、お袋は玉子焼きの入った豪華な?弁当を作り、持参していた。(当時の我が家では、玉子は貴重品で、玉子焼きは何かのイベントがないと食べられなかった。これに釣られて、手伝いに来ていたのかも・・(笑))


燃料用の木材が欲しいのは、この当時はどの家庭でも一緒であり、プロパンガスがある家庭は殆どなかったように思うし、これらの木を切り出すのにどれだけお金を支払っていたのかも、子供だったので知る由もなかった。

木を伐り出す場所は、道路から小さな小川沿いを100-300m上流に登ったあたりで、両側の山の急斜面の小川に近い雑木を切るか、倒れているやや太めの雑木を切り出し処分するのです。

倒れている雑木は、乾燥しており、水分が抜けて軽くなっており、鋸で切っても、切り易いので最適でなのです。

現場では、色々な木(薪、杉、栗やドングリ等)の30cm位の太さの木を3m位に切って、枝打ちし、太い木を2-4本ずつ縄で束ね、この小川の上を引っ張って下り、滑らせて、道路脇まで何度も運ぶのです。

お袋は、小枝や枝打ちした木を1m位の長さで束を作り、山積みして(杉の枝など燃え易いものも火がつけ易いので必要)、これらを自分の頭より高い1.5m位の高さまで「おいこ」に乗せて、それを担いで道路脇まで運ぶのでした。

すべて肉体労働で結構きつい運動であり、つるはし、大小の鋸、斧、鎌等は家業の仕事でも使うので、実家には、色々な大工道具もあったが、こんな作業をやってるうちに、子供でも自然と使い方は身に付いたのだと思う。

道路脇まで運んだ太い木は1本ずつ、お袋と私と二人で、大八車に山になるほど載せ、その上に、更に、枝類を乗せ、私が大八車を引き、お袋が後ろを押し、家まで持ち帰えった。

実家まで持ち帰った後は、ちょっと休憩し、今度は、これらを道路から家の下の河原の燃料木置き場まで運ぶのでした。

私達の子供の頃には、平日は毎日1-2時間位は家庭の手伝いをする当たり前であり、ポンプを押して、風呂水や炊事用の水汲みをしたり、家に持ち帰った太い木は長さ30cm位に鋸で切り、その切った太い部分は、大きな斧で割って、五右衛門風呂や竈(くど、かまど)に使えるサイズにして、沢山準備しておくのです。 

(燃料用の木は、ストックしておかないと、雨の日でも、木を割る作業をしなければいけないし、冬の寒い時にはしたくないので、気候の良い時に沢山の燃料木を山積みに準備しておいた。)

太い長い木は、長さ30-40cm位の長さに鋸で切り、それから割る作業に入るが、
斧で、太い木を割るのは、コツがある。

まず、足場は、堤防の上の石が詰まった固い場所の上に、太い高さ2-30cmの樫木か栗の木のような固い木を台にして、その上に割る木を縦にして置いておく。

斧は、柄の先に付いた金属の刃の部分の重さを利用し、木の柄の部分で遠心力を作り利用し、刃を上に振り上げ、最高の速度と刃の重さを割る木の芯へ持って来るのである。そうすれば、あまり体力を使わないでもパカッと綺麗に割れるようになるのです。(先日は、農業公園で、このように木を割る体験会をやっていたので、飛び入り参加し、見事綺麗に割って見せた。(笑))

又、大水(洪水)の後は、流木や竹などが河原の石の上に流されてきていると、水がひいた後は、手斧を持って、枝や木を集め、持ち帰る事もあった。(これは、遠くの山まで木を取りにいかなくても良いし、楽だからであるが、近所の人達も来るので、急いで取りに行っていた。早い者勝ちなのです。)

当時は、ゲーム機もパソコンもなかったので、遊び道具は何でも自分で作っていた。竹トンポ、紙鉄砲(杉の実)、弓矢、竹馬、パチンコ銃(ゴム銃)等々自分で作り、ナイフも鋸も金槌なども子供ながら、8歳位では使い慣れていたと思う。

 
この頃の色々な作業で、自然に身に付いた技術が、後の自分の性格形成(理屈っぽく、理論原理に基づき、基本から応用を学ぶ等々)の元になったのかもしれない。()

我が家の家訓は、「人に迷惑をかけない!」、「お金が貯まるまで、物を買うな!」(借金するな!)、「どんなに偉い人に対しても、2度まで誠意を尽くして、返事がない時は、打ち切ってしまいなさい。」(ギブアンドテイクの基本)等を言われていたと思う。

 少し、大人になってからは、(自分で作った言葉かもしれないが)「人より早く行動し、人より広い知識を持ち、人より深い判断をしなさい。」とか、「1つの事をなすためには、10の知識や費用等がかかり、100以上の努力の積み重ねが必要。」とか、「やれるやれる自分なら必ずやれる!」とか言い聞かせてきたのかもしれない。

これらは、すべて幼少期の体験や経験、親や近所から教えられた事が基本となり、身について来たものだと思う。

以上
半世紀以上も前の話、現在の人では想像もできない時代だったかもしれないですね。






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Last updated  2019.11.06 19:26:16
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