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南アフリカ ケープタウンに立ち寄った時に、購入したものである。 (左は、1975年頃、右は1998年頃購入した。) 原住民という言い方は失礼になるが、当時は、アパルトヘイト(人種隔離政策)があり、元々そこに住んでいた人なのに、差別をされ、収入の道も厳しく、生活が苦しかったのである。 彼らの中の手の器用な人が、木を集め、人の姿を削り磨いて、商品にして、外国人等に売り、生活の糧にしていたのである。値段も安いものだったのに・・・ 当時は、そんな事には、余り関心が無く、そんな商品も精一杯値切って、購入していたのである。(今から思うと、申し訳なかった。) 反面、ゴールドやダイヤモンドを産出する南アフリカだから、貴金属店も多くあったが、それらは、どこも白人の経営する店であった。(儲けも大きい所) 今では、2階建てバスも、どの店も、人種隔離というものを見ることは、ほとんどない。 この2つの人形を見るとき、写真を見るのと同じように、その当時のそれぞれの状況を思い出すのである。 悲しそうな顔に見えるのは、私だけなのだろうか? 近年は、笑い顔の人形を売っていることを祈りたい!! (何々、木にすがって、駄々をこねているのは、○○さんの子供の頃に似ている?笑) Last updated 2007.03.16 13:16:53
何々、木にすがって駄々をこねているのは?・・・そんな奴はおらんやろう・・・そんな子供はおらんでー・・・と思って読んでいたら、あっ、ひょっとして、ムムッ、自分の保育園時代の思い出に突き当たった!!(赤恥) リコハウスさん、よく思い出すね。ショウジキ、顔が真っ赤になったよ! 私も1950年に、初めて海外出張でインドに行った時、サンダルウッドで作られた木彫りのシバのカップルを買ってきて、長らく家宝のように大切に飾っていた・・・。 私が海外に目を向けたのは、リコハウスさんが船乗りで、航海のたびに海外で買ってきた象や鳥や土人の木彫りを、所狭しと床の間に飾っていたのを、「ようやるな」と思って眺めていたのも、キッカケの一つかもしれません!! (2007.03.17 00:04:12)
マタリーノさん ウムッ! さすがに、鋭い! 自分の幼少期を思い出せるのは、ボケていない証拠だから・・(褒めている 大笑) マタリーノさんのインド滞在での思い出をもう1つ思い出した。 確か、日本で車の運転免許が取れなくて(?)、インドで国際免許書を取得して帰って来ていた。 一緒にドライブして、マタリーノさんが運転席、私が助手席に乗っていると、右に曲がる時は、運転席の窓を開けて、右手を出しながら、右転し、左に曲がる時は、私に、「窓を開けて、手を出して!」と指示していた。 そういえば、小学生頃のバスには、矢印の方向指示器があったが・・・人動方向指示器の事だった。(大笑) インドの車には、ウインカーはナカッタンカイ! (あったらしいが、インド人は手の方が分り易かったみたい。) それから、数十年、今は、立派な日本製の模範的ドライバーです。 (大笑) (2007.03.17 00:48:47)
リコハウスさん
昔のこと、本当によく覚えてるね?私の嫁さん以上(?)の記憶力に恐れ入りました・・・・。 リコハウスさんも、認知症には、まだ遠いみたいだから安心したよ!(笑)なんせ35年前のことだから・・・・。 あっ、そうそう上の文章で1050年にインドに行ったとういうのは間違いで昭和50年、1975年の間違いでした!修正します!! その頃のインドの大衆車はアンバサダーという1000CCの車で、当然ながらウインカーはなく、右ハンドルで右折は運転席から右腕を真っ直ぐ伸ばして合図し、左折は右腕を伸ばした後、手のひらを下に向けて手首をグルグルと反時計方向に回して合図していました・・・。 前を見て運転しながら、緊張しながら、手で合図をして運転って忙しいものだと思ってました(汗) ううーん、何を言わせるの? あれから、数十年、いまや立派な模範的ドライバーです。 でも、日本の道路には牛が歩いてないし、スピード止めの道路の隆起部分がないので、とても走り易いです・・・・。 (2007.03.17 12:00:22) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.02.19 15:46:28
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