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2013.03.31
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カテゴリ:地理
ロシア極東ウラジオストクで30日、明治時代から1930年代にかけて多数の日本人が居住していた旧日本人街など日本ゆかりの建築物などを巡る散策ツアーが行われ、地元在住の日本人や日本語を勉強するロシア人ら70人以上が参加した。

ツアーは地元の日本総領事館や博物館が主催。
参加者は大阪経済法科大の藤本和貴夫学長や極東連邦大のゾーヤ・モルグン准教授ら歴史家を中心に2年前に作製された「浦潮旧日本人街散策マップ」を手に市内を巡った。

(福井新聞より)
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一度行ってみたい町のひとつだがこのマップも欲しい。

ウラジオストクといえば軍港として有名で、旧ソ連時代は外国人はおろか、市外居住者の立ち入りも禁止される閉鎖都市だった。
その間代わりに貿易港となったのがナホトカで、当時はシベリア鉄道もナホトカから出ていたはず。
明治時代には「浦塩」などと記されていたのは『坂の上の雲』でもお馴染みだ。

ここにはかつて大きな日本人街があって、1920年代頃が最盛期だっという。
さすがに当時を知る人ももう少ないだろうが、日本人にとってはその縁をたどる意味でも訪れてみたい場所だ。
近年では日本からの中古車の輸入基地となっていたほか、日本語を学ぶ人も多く、日本とは(距離だけでなく)近い街と言えるかもしれない。

広いロシアの中でも極東の端に位置するので中央との結びつきはどうなのだろう?
数年前にここをホームタウンとするサッカークラブがロシア1部リーグに昇格した際には移動距離の長さで大変なことになったのだとか。





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Last updated  2013.03.31 02:26:26
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