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ちずらぼのちずらぶ

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2014.09.03
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カテゴリ:災害記録帳
防災週間でもあるので、前日、前々日に続いて過去の災害についての記事です。


昭和43年(1968年)8月18日午前2:11、104名が死亡する国内史上最悪のバス事故が起きたことをご存じだろうか。
事故は山間部を走る2台のバスが土石流に巻き込まれる形で川底へと転落したものであり、自然災害による事故といっていい。

8月7日に南鳥島付近で発生した台風7号は日本列島をゆっくりと回り込み、17日には日本海で温帯低気圧に変わったが、そこから伸びる寒冷前線に向かって湿舌といわれる暖かく湿った空気が大量に流れ込み、中部地方を中心に激しい雨になり、山間部では土砂災害が相次いだ。

乗鞍岳へ向かう観光ツアーのバス15台が犬山を出発したの17日の22:00。
バスツアーは名古屋市のフリーペーパー「奥様ジャーナル」が主催したもので、夜行で乗鞍岳畳平へ向かい来光を拝み、夕方に名古屋へ戻る行程となっていた。

17日は台風の影響による雨が午後から小降りに変わり、大雨洪水雷雨注意も夕方には解除されていた。主催者は19時に気象台に問い合わせて翌朝に向かって回復に向かうとの予報を得たことからツアーを決行、15台のバスは予定通り出発した。しかしこの後予報は急変する。

20時に雷雨注意報が発表され、バスが集合地の犬山を出た直後の22時30分には大雨洪水警報に切り替わり、岐阜県内は時間雨量100mm前後の記録的大雨になる。
不運にもこの情報はバスには伝わらなかった。当時はリアルタイムで気象情報を把握することは難しく、唯一の手段ともいえる車載のラジオも山間部で受信状態が悪いことに加えて、車中泊便ゆえに就寝中の乗客がいる夜間に流すことも難しかった。

日付が変わる頃には山間部で被害が出始め、国鉄高山本線の上麻生駅~白川口駅で線路が崩落するなど深刻な状況になっていた。

23時30分頃、一行は休憩地の金山町に予定通り到着。この時、先の道で土砂崩れ発生の情報が入り、ツアーを一週間延期して引き返す判断をする。
しかしこれは往路で運よく通り抜けられた行程中の最危険地帯にわざわざ逆戻りすることを意味していた。

日付が変わった18日午前0時過ぎ、バスは2つのグループに分かれて雷雨の中を時間差で帰路についた。白川口駅を過ぎて飛泉橋にさしかかると前のグループを走っていた5号車が消防団員に呼び止められ、水位の上昇と土砂崩れによる危険を告げられる。
しかし前を行く1~3号車(4号車は欠番)は既に通過しており、まだ通行規制が実施されていなかったことから5・6・7号車は前を追って危険地帯に侵入してしまう。8号車以降は待機したことで難を逃れており、ここが運命の分かれ道だった。

途中の小規模な崩落は土砂を取り除きながら進んだが、ほどなく大きな土砂崩れで行く手を塞がれる。引き返そうとした後方でも別の土砂崩れが発生して前後を挟まれて身動きが取れなくなった。
そして2時11分、高さ100m、幅30m、ダンプカー250台分の大規模な土石流がバスを襲う。うち5・6号車はこの直撃を受けて飛騨川の濁流へと消えていった。

残ったバスの運転手たちは乗客を安全な場所に退避させると、崩落を乗り越えて上麻生ダムの見張所までたどり着き、当直の職員に事故を知らせた。ようやく警察に第一報がももたらされたのは事故から3時間以上後だった。

救援活動は困難だった。
深く切立った谷は、乗客はもちろん、当初はバスの車体さえ発見できなかったという。19日に300m下流で押しつぶされた5号車が発見され、車内と周辺から二十数体の遺体が収容された。しかし6号車や残りの乗客は発見されなかった。

飛騨川が急流であることに加え雨による増水で流れは速く、捜索は難航した。
上流の名倉ダムをせき止めて水の引いたわずかな時間を利用しての懸命の捜索もむなしく、9名が行方不明のまま。川を下り海へ出て知多半島にまで流れ着いた遺体もあった。
また遺体の損傷も激しく、身元確認もままならなかったという。

現場には慰霊のための「天心白菊の塔」が建てられている。
地元の人は今でも事故現場を通ると胸が痛むという。

裁判では天災か人災かが争点となったが、事故の原因はがけ崩れという不可抗力であり、バス会社への業務上過失致死傷罪は問えず不起訴となった(バスを止めなかった消防団も業務上過失致死の容疑がかけられたが無罪)。
一方で名古屋高等裁判所は土石流を防止することは当時の科学技術の水準では困難であったとしたものの、事故現場付近での斜面崩壊の危険は予測できたとして、通行禁止などの措置をとらなかった瑕疵を認め国に約4億円の支払いを命じている(国側は上告せず)。

この事故をきっかけに国道の防災体制が整備され、雨量による事前通行規制が制度化される契機にもなった。
現在では当時に比べれば道路インフラも通信環境等も進んだので同じ状況ならば事故を事前に回避することは可能かもしれない。
しかし先日の広島の例を見ても分かるように、天候の急変が予期せぬ被害を誘発するケースは決して少なくはない。

飛騨川.jpg


※本記事は2012年に書いた記事を再編したものです





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Last updated  2016.03.06 13:22:06
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