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2014.09.06
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カテゴリ:災害記録帳
9月5日は慶長伏見地震が発生した日(1596年)。

慶長伏見地震は伏見付近にある有馬-高槻断層帯と六甲・淡路島断層帯が震源となった直下型地震で、マグニチュード(M)は7.5程度と推定されている。
京都や堺での被害が大きかったことが伝えられているものの、揺れは(被害も)関西の広範囲におよんでいる。
そう考えると慶長「伏見」地震という命名は不思議でもある。歴史地震は元号名で命名されるケースがほとんどだが、中世以降は地震名に地名が入ることも珍しくなくなった。しかし大概は「江戸」「鎌倉」といった都のあった都市名か「出羽」「遠江」などの国名がつけられる。これに対して慶長「伏見」地震というのはかなりピンポイントな命名といっていい。

これはこの地震の特殊性(というよりこの地震が記憶される際の特殊性)が関係している。
おりしも天下を司っていたのは豊臣秀吉であり、その秀吉の居城として建てれらた伏見城が完成直後にこの地震に襲われた。天守閣が大破し、城内だけでも多くの死者(300人とも600人以上ともいわれる)が出ており、そのほとんどが圧死であったとされる。
時の政権が伏見にあったことがこの地震名に反映されており、またこの地震にまつわる記録や逸話も多くの場合伏見城や秀吉に絡むものであることから(謹慎中だった加藤清正がいの一番に伏見城に駆けつけて秀吉に謹慎を解かれた「地震加藤」は有名)、慶長伏見地震の記憶自体が秀吉とリンクしているのが興味深い。

秀吉は1586年の天正地震(いずれ触れようと思うが、歴史的にも被害が大きい地震だった)も経験しており、築城にあたっては、「なまつ大事」(鯰〈なまず〉、つまり地震のこと)との指示している。
実際に戦国時代後半は非常に大きな地震が多い時期でもあった。この伏見地震の直前にも9月1日に慶長伊予地震、9月4日に慶長豊後地震が発生(いずれもM7以上と推定される)しており、秀吉ならずとも地震を意識せざるを得ない時代でもあったのかもしれない。

秀吉はこの後倒壊した指月伏見城から木幡山伏見城(現在の伏見城がある場所)へと伏見城を移転させる。木幡山は地震の直後に秀吉らが避難した場所だが、指月伏見城に比べると地盤は強固なのでやはり地震を意識してのことだと考えられる(ただし現在推定されている指月伏見城跡地は台地上(下位面)であり、必ずしも地盤が悪いとはいえない。築城にあたり大規模な盛土がされたか、場所そのものがもっと低地であった可能性も否定できない)。
また、地震後に秀吉が大坂で政務を執ったことを事実上の「首都機能分散」であったとする考え方もある。この説も各地で大地震が頻発していたことを考えればそれなりに説得力はあるように思う。

指月伏見城.jpg
<伏見城付近の地形(地理院地図)赤丸は宇治川から直接城内に船を入れるためにつくった濠跡とされる>

当時の秀吉は長男の逝去という不幸や、朝鮮出兵(文禄の役)の不調や秀次事件、利休事件など失政も多かった時期で、この地震は大きな痛手となった。豊臣政権の凋落を象徴する意味での慶長「伏見」地震という解釈もできる。

地震被害の話に戻ると、この地震による被害は京都でも西側や南側に集中している。緩扇状地で比較的地盤が安定している上京や東山での被害は少なく、沖積低地で湿地も多かった西部・東部で被害が大きかったのは土地条件の違いが如実に表れている。
嵯峨野では天龍寺や仁尊院、大覚寺といった寺院が倒壊(ただし天龍寺や仁尊院は厳密には台地上に立地しており土地条件との関係を考えるには検証が必要)、山崎や八幡での被害も大きかった。南部では東寺が倒壊し、方広寺では大仏が倒壊した。
大阪でも低地の多くの建物が倒壊したが、上町台地に建つ大阪城に被害はなかった。

その後1662年の寛文地震や1830年の文政京都地震なども発生しているが、なぜか関西には大きな地震がないという不思議な神話が生まれた。
そして1995年にあたかも不意討ちであったかのような阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)が発生する。兵庫県南部地震は慶長伏見地震の際の六甲-淡路島断層帯における滑り残しが原因とする説も発表されている。

人は忘れる生き物であり、地震や洪水という自然現象が「災害」と化すのはこうした人の習性も関与しているのかも知れない。






Last updated  2016.03.06 13:23:24
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