カテゴリ:純な心、直感、初一念
「純な心」は、混じりけのない純粋な心のことではありません。物に接して最初に浮かんだ感情、直感、森田では初一念などと言います。でも私の場合、これだけだと「純な心」は十分に理解できませんでした。次の逸話でよく理解できました。
「形外先生言行録」から片岡武雄さんの話。 ある方がウサギの世話をしておられた。ウサギに餌をやりに小屋に入ったとき、突然猛犬が飛び込み、一頭のウサギをくわえて逃げ出し、噛み殺してしまった事件があった。この方は、これは入口の作り方が悪いからこんなことになってしまったと弁解された。途端にそこに居合わせた私たちもびっくりするほどの森田先生のお叱りの言葉。 なぜ森田先生はそんなに叱られたのでしようか。 ウサギの世話をしていた人の気持ちになってみましょう。 きっとウサギが噛み殺されて一瞬背筋がぞっとするような、目をそむけたくなるような気持ちになられたことでしょう。誰でもそんな気持ちになります。 でもそんな気持ちは一瞬で消えて、次にこれはまずいいことになった。森田先生にこっぴどく叱られるかもしれない。そうなったらまずい。その状況から逃れられたいと思われたのではないでしょうか。普通の人はそんな感情が自然に湧いてくるでしょう。 そこでつい瞬間的に口をついて出た言葉が、「これは入口の作り方が悪い」と責任転嫁されたのです。これは森田先生の考えからみると見逃すことのできないゆゆしき問題です。 そのお叱りの意味は、責任回避の表面的なことではなく、なぜかわいそうなことをしたと思わないのかと。なぜ感情の事実を無視したのかということです。 ウサギが噛み殺されて一瞬背筋がぞっとするような、目をそむけたくなるような何ともいやな感情が湧き起ったという事実。 もうひとつは、これはまずいいことになった。森田先生にこっぴどく叱られるかもしれない。そうなったらイヤだ。これは現実ではなく予期不安ですが、そういう感情が湧き起ったというのはまぎれもない事実だったのです。 ここで森田先生の言いたいのは、その2つの感情の事実をごまかさないでなぜ認めて受け入れないのだということなのです。これが核心部分なのです。 この方は、事実を認めないで、人に責任転嫁した。言い訳をした。自己弁護した。このことを叱っているのです。 「純な心」とは、事実を無視して責任転嫁することではないのです。事実を正しく認識して受け入れることです。そして服従することなのです。 私もかって仕事でミスをしたとき、ミスをしたという事実と、上司などに無能扱いされて自尊心が傷つけられることを恐れ感情の事実を認めることができませんでした。 ミスを人のせいにする。事実を隠す、事実関係の報告を遅らせる。伝票操作してごまかす。ミスした商品を自費で買い戻しミスを帳消しにしようとした。 そうゆう態度、行動は自分を生きづらくさせて、神経症を作り上げてきました。 「純な心」とは、事実はどんなに受け入れがたいものであっても、決してごまかしたり、言い訳したり、責任転嫁したりすることではなかったのです。 私は、これを「純な心」の相互学習から学びとりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.06 17:28:27
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