カテゴリ:生の欲望の発揮
以前スナックに行った時、そこでアルバイトで働いているホステスさん曰く。
「私はお父さんが大嫌いだった。アル中で、酔うと私たち子どもに暴力をふるった。 だから大人になって結婚する時は、お酒をあまり飲まない人と結婚しようと思っていた。 ところがいざ結婚してみるとお父さんとよく似たような人だった。 あれほど毛嫌いしていたのにどうしてなんだろうね」 私はこの話を聞いて「共依存」という言葉を思い出していた。 たとえば男性でギャンブルが好き、酒が好き、女好き、宵越しのお金をあまり持たないような生活をしている人がいる。 酔うと呂律が回らなくなるが、何となく憎めない。 その人のことをあからさまに非難する人はいない。 でも「あの人はちょっとなあ」という人はかなり多い。 割と二枚目の人が多く、人に合わせるという意味では天性の資質を備えている。 全くヒモのような生活に甘んじている人もいれば、仕事はなんとかこなしている人もいる。 人を押しのけてまで、自己主張を繰り返すことはない。 同棲を繰り返し、結婚してもしばらくすると別れ、また次の女性と付き合っているというような人である。 「あんたこんな生活を続けているとみじめな老後を送ることになってしまうよ」と忠告したくなるような人である。 本人は今のままの生活に満足しており、生活スタイルを変えようという気持ちは持っていない。 ところが不思議なことに、そんな男性を見ると、胸騒ぎを抑えきれない女性がいるのである。 私の力でなんとかまともな人間に立ち直らせてみたい。 私にはその能力があると思っている女性がいるのである。 周りの人はあんな生活能力もない、お金や女性にルーズな人と付き合っては、あなたが不幸になるよと盛んに忠告するのだが、聞く耳を持たない。 そして一緒になって一見楽しそうに生活しているように見える。 ところがそんな蜜月は長くは続かない。 男性が女性にすべての面で依存して、何もしないでぶらぶらと毎日遊んで暮らしているのに耐えられなくなってくるのである。 女性が「いい加減にしてよ」と堪忍袋の緒が切れてしまうのだ。 そして予想通り別れる。でも別れてもすぐに男性も女性もまた同タイプの人と付き合っているのである。 男性は女性に経済的な面、愛情面で全く依存して、しぼりとるだけ絞りとるといった状況である。 すねてみせたり、暴力をふるったり、謝ってみたりするが目的はひとつである。 女性の方は、人間としては問題のある男性を立ち直らせるという目標、課題を持つことができる。 本来人間というのは実存的に生きる意味を求めている存在である。 女性にとって生きる目標を見つけたということは大きいのである。 したがって、この依存関係は双方にとって少なからずメリットがあるのである。 だから共依存が成り立つのだ。 問題なのは、この依存関係は将来に向かって展望が開けてくるものではないということだ。 男性は完全依存できる女性が存在することで骨抜きにされてしまう。 自分では何もできない情けない人間になってしまう。 楽で楽しい生活はできるかもしれないが、本当の意味で人生の喜びは味わうことはできない。 女性は男性をかいがいしくめんどうを見てほほえましいように見えるが、その目標は男性の生きがいを骨抜きにしているのだ。 そういう目標を持つことは他人を不幸にする。 本来あなたのやりたいこと、夢の実現に向けて舵を切りなおすことが必要である。 そうすることで将来に向かって展望が大きく開けてくるのではないでしょうか。 なお共依存は男女の間のみならず、親子の間にも発生するのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.07.16 06:52:31
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