カテゴリ:生の欲望の発揮
プロ野球の王貞治さんはストライクゾーンを77個分のボールが入る広さに見立てて打撃練習をしていたという。
内角のここに来たならこう打つ、アウトコースのここならこのように打つと想定しながら練習をしていた。 相手ピッチャーは滅多にホームランボールを投げてくれないが、もしホームランボールが来た時は確実に一発で仕留めることができなければ、観客の期待に応えることができないと言われている。 王選手の1本足打法を写真で見ると実にバランスがとれており、芸術作品を見るようである。 ここにプロ野球選手としての職人魂を見る思いがする。 王貞治さん曰く。 基本的にプロはミスをしちゃいけない。そう思って取り組んでいかなければいけない。 人間だからミスをするものだよ、と思いながらやっている人は絶対にミスをする。 またミスも多くなる。同じようなミスを何回もする。 100回やっても、 1,000回やっても、 「絶対俺はちゃんとできる」という強い気持ちを持って臨んで初めてプロなんだ。 森田理論学習をしていると、完全主義という「かくあるべし」は自分を苦しめるばかりであるという。 なんか王さんの言われていることと反対のことを言っているような気がする。 今日はこの点について考えてみたい。 森田先生曰く。我々の完全欲というものは、どこまでも際限なしに、押し伸ばしていかなければならない。我々は自分の生命の欲望を、どこまでも完全にしなければならない。 そうすれば必ず強迫観念の一方のみへの囚われから離れるのである。 完全欲が強いほど、ますます偉い人になれる素質である。完全欲が少ないほど、下等な人物である。 この完全欲をますます発揮させようと言うのが、この治療法の最も大切なる眼目である。 完全欲を否定し、抑圧し、排斥し、ごまかす必要は少しもない。 学者にも金持ちにも、発明家にも、どこまでもあくことを知らない欲望が必須。すなわち完全欲の表れである。 我々の完全欲、すなわち向上心がある事は、ちょうど水が低きにつくのと同じ自然の勢力である。 完全欲を否定したりごまかしたりする必要は少しもない。この完全欲をそのままに、持ちこたえていくことを自分の心の自然に服従するといい、おのおの境遇の変化に順応して、ますます工夫に努力することを境遇に従順であると称するのである。これは王さんのいわれていることと同じである。 森田先生の言わんとするところは、目標や課題を持って、日々努力していく事は、人間が生きる上において必要不可欠なものである。別の言葉で言えば、日々運命を切り開いていくということだ。それが生きがいにつながってくる。 その時の視線は、下から上を見上げて、しっかりと目標や課題を捉えている。失敗や挫折があろうとも、しばらくたつとまた、目標や課題に向かって挑戦し続けている状態であろう。 これに対して完全主義という「かくあるべし」はどういったものであろうか。 まず自分の立ち位置が違う。雲の上のようなところに自分を置き、現実社会で苦しんでいる自分や他人を見て、非難したり否定しているのである。 そして至らない自分を、今すぐにでも理想的な状態に押し上げようとしているのである。 つまり、自分という1人の人間の中に、完全でなければならないという「かくあるべし」を持った人間と、現実に様々な問題で苦しんでいる実際の自分がいて、互いにいつも喧嘩をしているようなものである。その葛藤でいつも悩みを抱えている。 本来は一体であるべき1人の人間が、 2つに分かれているので問題が生じるのである。 これが神経症に陥る1つの原因となっている。 人間は生の欲望を発揮して、常に目標や課題に挑戦し続けなければならない。 その時、なかなか自分の思い通りにいかなくても、そんな自分を非難したり否定するのではなく、自分を認めてあげる。 そして現場や現実を踏まえて、そこから目線を少し上にあげて、二歩前進一歩後退の気持ちで生活をしていくことが肝心であると思う。 (王貞治に学ぶ日本人の生き方 斎藤隆 NHK出版、森田全集第5巻参照) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.06.02 06:30:06
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