カテゴリ:純な心、直感、初一念
森田先生のお話です。
医者の診断について我々が大学を出て、助手時代の時に3、4年たった時、最も得意の時代であって、診断が非常によく当たる。かえって先生よりも、テキパキと確診ができる。 しだいに年をとり・経験を積むに従って、診断が軽々しくできなくなった。 それは多くの例外に当たった経験から、診断に迷いができる事と、患者に対する同情から、悪い場合の予後が、簡単に言えなくなるのである。 私共も、自分の子供が亡くなって後は、患者に対する同情が深くなって、治らぬ病気や死ぬるものも、これをありのままに言うことができなくなった。 病気のよい方面ばかりを見つけて、何とかして治るように、死なないようにと、いつまでも欲目で見るようになる。診断や予後が不明瞭になってきた。 すなわち医者という単なる職業や、学問ではなくて、我身になって考えるという人間味ができたのである。(森田全集 第5巻 380ページ) この部分は「純な心」と人情の関係を説明されていると考えます。 森田理論の「純な心」を大切にする考え方はとても大事です。 「純な心」は、むずかしい言葉ですが、最初に思い浮かんだ素直な感情、直観のことです。 初一念とも言います。普通この感情はすぐに流れ去り、続いて「かくあるべし」を含んだ、初二念、初三念という感情が湧き出てきます。 初一念の感情を無視して、初二念、初三念の感情に振り回されると、事実を無視することになります。それが葛藤や苦悩を生み出す原因になっているというのが森田理論の考え方です。 森田では「純な心」から出発する態度を身に着けることが目標となります。 感情の事実を大切にすることですから、これを身につけることは大変意味があります。 しかし、これを直接相手に伝えていくというやり方は、時と場合によっては問題になるということです。自分にとっては素直な感情に反発しないで受け入れるのでよいのですが、それを相手にそのまま伝えることはまずいのです。 事実をそのまま伝えて、相手にダメージを与えるようなことを平気で言うというのは、人間性に問題があるという事だと思います。 初一念の感情を相手に伝えるときは、相手の身になって考えてみることが必要になります。 相手が心に大きな痛手を負うかもしれないと予想される時は、初一念は封印しなければならないということです。 そんな時は、何もしゃべらず、相手に寄り添ってあげるというスタンスで十分です。 相手がそれほどでもないときは、私メッセージを使って、自分の気持ちや考え方を伝えるという手法を用いることが重要です。 これは自分の気持ちを相手に伝えるだけで、相手に「かくあるべし」を押し付けることではありません。相手の考え方、実践や行動を尊重した付き合い方になります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.07 19:53:41
コメント(0) | コメントを書く
[純な心、直感、初一念] カテゴリの最新記事
|
|