カテゴリ:認識の誤り
今日は森田理論でいわれている「幼弱性」について考えてみたいと思います。
大人なのに、赤ちゃんのような振る舞いをするということです。 これは自分では、その意識が希薄ですが、他人があの人は箸にも棒に掛からない人だと思っているわけです。一旦そうみなされると、要警戒人物として周りの人に知れ渡り、しだいに孤立してゆきます。ストレスがたまり、それを解放するためにさらに幼弱性に拍車がかかります。 幼弱性の強い人は、仲間内から毛嫌いされますので、社会的には死んだも同然です。 幼弱性の全くない人は、可愛げもなく、近寄りがたい人になりますが、これも程度問題だと思われます。 森田理論でいう「幼弱性」とは、観念的、依存的、自己中心的のことだと言われています。 観念的とは、観念や思考を優先する態度です。自分の考えに固執する人のことです。 自分の意見、気持ち、主張、要望を相手に押し付けることです。 他人だけではなく自分自身にも押し付けてしまいます。 観念的の反対は、事実本位です。事実、現実、現状のことです。 この二つの関係ですが、本来は事実本位が主導権を発揮して、理知の力を補助的に使い、バランスを維持しなから、生活すれば問題は起きません。 ところが、幼弱性の強い人は、観念最優先で、事実、現実、現状は眼中にないという状態です。 観念優先で、事実を観察しようという気持ちが希薄です。 観念の世界で、事実はいくらでも修正可能だと考えているのです。 これでは、森田でいう思想の矛盾で葛藤や苦悩を抱えてのたうち回るのは自業自得となります。 依存性とは、本来自分ですべきことを放棄して親や他人に肩代わりしてもらうことが習慣化している人のことです。たとえば3度の食事を用意することは、人間としてあたりまえのことです。 献立を考える。買い出しに行く。下ごしらえをする。料理を作る。家族で食卓を囲む。食べ終わったら後片づけをする。ゴミ出しをする。自家用野菜をつくる。加工食品を作る。デザートをつくる。これが面倒だといって、外食に頼る。デリバリーを利用する。ファーストフードで済ます。いつもスーパーの惣菜に頼る。食材の宅配を利用する。 これが習慣化すると、栄養のバランスが崩れて、健康の維持は難しくなります。 さらに問題なのは、日々の課題を無視することによって、暇を持て余すようになります。 その隙間を刹那的、享楽的、刺激的な娯楽で埋めようとするようになります。 生きがいとは無縁な生活になります。 依存体質の強い人は、無為の人生と親和性があります。 依存の反対は自立です。基本的に自分のことは自分でするということです。 経済的に余裕があろうがなかろうが、自分のやるべきことは自分ですることが大切です。 「凡事徹底」という言葉がありますが、そのような心掛けで生活している人が、人生を謳歌しているのです。 自己中心的とは、自分さえよければ他人がどんなに悲惨な状態になろうが意に介さないという態度のことです。人間は長生きして子孫を残したいという動植物の命をいただいて、延命を図っている生き物です。つまりある程度、自己中心的でない人は、生き延びることはできません。 ですから自己中心を否定するわけではありませんが、その欲望が暴走してしまうことは大きな問題です。人類史は欲望の暴走の繰り返しだったと言っても過言ではありません。 自己中心の反対は何でしようか。 私は、森田理論でいう「物の性を尽くす」をあげたいと思います。 他人、他の動物、植物に至るまで、自分の能力を最大限に活用して、生き尽くしたいという気持ちを持っています。その気持ちを汲んで、相手に寄り添う気持ちが大切になると思います。 自分の私利私欲を前面に打ち出して、相手を虫けらのように取り扱うことは慎むことだと思います。2つの関係でいうと、まず「物の性を尽くす」ことを最優先することだと思います。 自己中心性は、誰でもその方向に流されてしまいますので、この際抑制するくらいの気持ちで取り扱うのです。そうなりますと、お互いの人間関係、自然との付き合い方が好循環を始めると思います。現実は自己中心性が独り歩きし、しかも暴走気味なのでとても友好な関係にはなれないのです。このような生き方で一生を終わることは、いづれ後悔することになると思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.09.13 06:40:29
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