「だまっちゃおれん訴訟」の判決言い渡しは11月22日~最後の原告意見陳述の紹介~
※11/5 判決前集会の動画へのリンクと、判決当日の行動予定を追加「だまっちゃおれん訴訟」の判決日は11月22日・水曜・11時 名古屋高等裁判所で継続していた「だまっちゃおれん! 原発事故人権侵害訴訟・愛知岐阜」(通称「だまっちゃおれん訴訟」/※)は11月22日・水曜日・11時に、同高裁1号法廷で判決が言い渡されます。※だまっちゃおれん訴訟 フクイチ核災害によって、愛知・岐阜県に避難を余儀なくされた被災者・被害者が東電・国に対して謝罪・損害賠償を求めた「原発事故損害賠償請求訴訟・愛知岐阜」(2013年6月~14年3月に3回に分けて計43世帯130人が提訴/2019年8月判決/21年2月控訴審・第一回口頭弁論)の別の控訴審。 同訴訟の原告の一部(7世帯・23人)が、原告のそれぞれの意向を尊重する観点から、控訴に際して別の原告団を結成したもの。同訴訟原告には訴訟の社会化を望まない意向の人もおり、訴訟の争点の社会化を望む意向の原告は、一審とは異なる枠組みを求め「だまっちゃおれん訴訟」として原告団を結成した。初回口頭弁論は2021年2月1日。2023年7月11日に結審。(リンク)だまっちゃおれん訴訟・原告団のサイト↓ 判決日の行動呼び掛け 上記スクショには含まれていませんが、当日は以下のスケジュールだそうです(公式サイト・サポーターズ向け案内等から作成)。9時55分:裁判所前集会開始10時20分:傍聴抽選予定10時35分:原告入廷行進11時:開廷(判決言い渡し)12時半頃(閉廷後):記者会見13時半:報告集会(桜花会館4階 松の間[最大定員145名]/高裁から見て道路を挟んで向かい側) 10月22日には、ウインクあいち(愛知県産業労働センター)で「判決前決起集会」が開催されました(動画は下記リンク)。 11月22日の判決日には、判決言い渡し後から、ライブ中継が予定されているそうです(中継用リンクは下記)。(リンク)●名古屋高裁の住所・アクセス●桜華会館公式サイト●10月22日の判決前集会決起集会の動画(1時間53分)●11月22日の判決後・中継動画弁護士の加工・編集無しの、最後の原告意見陳述「だまっちゃおれん訴訟」の結審は、今年7月11日でした(第13回口頭弁論)。 私は、原子力規制委員会の会議とぶつかったので、結審弁論は傍聴できなかったのですが、原告団のサイトにアップされていた陳述書を基に、岡本早苗・原告団長の意見陳述を掲載します。 この意見陳述は、岡本さんが「自分の言葉で語りたい」との強い意向を持っていたことから、代理人(弁護士)が「一切変更を加えなかった」そうです。 以下、読み易さの観点から、段落や漢字は改めますが、言葉は変えずに掲載します。 尚、「だまっちゃおれん」訴訟での過去の原告意見陳述や、2022年6月17日の最高裁判決本文については、拙ブログでも取り上げています。下記リンクからご覧下さい。(リンク)●「だまっちゃおれん訴訟」は7月11日に結審~これまでの原告意見陳述・1~●「だまっちゃおれん訴訟」は7月11日に結審~これまでの原告意見陳述・2~●国の賠償責任を認めなかった22年6月17日の最高裁判決====陳述、ここから==== 私は「だまっちゃおれん!原発事故人権侵害訴 訟・愛知岐阜』原告団長をしています、岡本早苗です。 『原発事故は国の責任です』。原発事故被害者は皆そう想っています。 原告番号8−2、そう法廷で呼ばれるようになって10年が経ちます。 自分の人生には生涯無縁だと思っていた裁判を、国家賠償請求訴訟をすることにしました。 私が、集団訴訟の原告として加わったのは、 『二度と同じ被害者を、私のような想いをどこの誰にもさせたくない』。この一点です。 原発事故の被害者となり12年と4ヶ月、集団訴訟の原告となり10年、私達がどれほど苦しい想いを抱えながら生きてきたかは、いくら陳述書に書いても、何度法廷で意見陳述に立っても、この苦しみ全てを伝えきることはできません、そしてこの先もこの苦しみが消えることはありません。それでも立ち続けるのは、今の社会を次の世代に手渡すわけにはいかないからです。 この裁判が始まって3年後、私は乳癌を患いました。闘病の必要があり1年訴訟活動から離れました。避難生活と闘病生活もあり、もう裁判に関わることはできないかも知れないと、心が折れそうになりましたが、2017年各地で行われる裁判で、国の責任を認める判決に励まされ、『もう一度立ち上がりたい! 原発事故被害者としてだまっていることなど出来ない』家族の心配もありましたが、法廷に出向き『私たちが奪われたこと、もの、時間』を真摯に裁判所へ訴えてきました。 私の奮い立つ思いもむなしく、2019年8月2日名古屋地裁の判決は、原発事故により暮らしたかった福島での生活も、大切に培ってきたコミュニティも、親として守りたかった子どもが自然と触れ合う環境も奪われ、原発事故により被ばくした事実を背負い、恐怖と不安の中生きてきた私の心を打ち砕くものでした。 この国には三権分立など本当は存在しないのかとさえ思え、一時は裁判などしても意味などないのかも知れないと思いました。下を向き流す涙さえ勿体無いと思いました。 それでも、私たち名古屋地裁の判決を自分ごとと一緒に怒ってくれる全国で共にたたかい続ける仲間が私の背中を支え、言葉にはしませんでしたが、『ここで諦めていいのか』という励ましの雰囲気にもう一度、もう一度立ち上がろうと決断しました。 各地の裁判所で出される判決は当該原告でなくとも、国の責任が認められないと判断されたと聞けば、心が壊れそうになり、ともに涙を流しました。 2020年9月生業訴訟の仙台高裁判決で裁判官として誇りと確信を持った判断に力を貰い、千葉地裁で国の責任が認められなかった千葉訴訟が東京高裁で逆転勝訴の判決には大変励まされました。名古屋高裁で正面から私達の被害に向き合って欲しいと訴えて続けなければと奮い立ちました。 そんな中、昨年6月17日の最高裁判決に、この国の司法の役割とは何なのか。国家権力や大企業から受けた被害について誰が救済するのか。 絶望すら感じる判決に、私達の被害がなかったことにされてしまう恐怖を感じました。 原発事故は誰の責任でしょうか? 原子力政策を進め、電力会社への規制をするのは国の責任ではないのですか? これほど大きな事故が起き、被害者の数は救済し切れないほどいるから被害は無かったことにされてしまうのですか? 国の原発安全規制をこれで良しと追認してきた司法の責任はどう感じていますか? そうした安全性の軽視の果てが今回の原発事故に繋がったのではないですか? 間違いに気づいた時、間違いは正されなければなりません。 間違えたまま社会を前に進ませれば、また、同じ事故が起きます。同じ被害者を生みます。 最後にもう一度申し上げます。 二度と私のような原発事故被害者を生んではなりません。 司法の本来あるべき役割を果たし、名古屋高裁の裁判官としての正義を確信と誇りを持って判断して下さい。以上====ここまで==== 冒頭の繰り返しですが、「だまっちゃおれん訴訟」の判決言い渡し期日は、11月22日・水曜日・11時です(名古屋高裁1号法廷)。 私は名古屋に向かえるかどうか未定ですが、可能な方は傍聴して欲しいと思います。春橋哲史(ツイッターアカウント:haruhasiSF)