|
カテゴリ:起業家
今週の日経新聞「人間発見」欄に3回連載されていたのは、庭園デザイナーの石原和幸氏。かつて氏の営む生花店のチェーンが急成長していた頃、ベンチャー系雑誌の特集で快進撃を読んだことがあり記憶に残っていたのだが、その後の消息が途絶えていた。今回の特集では、改めて氏の壮絶な半生が連載されており、その一部をご紹介したい。
☆実家は長崎市内の酪農家。都市化のあおりで難しくなってきた酪農を見限り、父親が土地に花木を植えるも、枝を出荷する際の切り方を誰もしらないため、生け花の池坊で華道を習う。 ☆実家の牛小屋を改装し1982年、24歳で生花店を始めるが、軌道に乗り始めたその年の夏、長崎を襲った大水害で得意先をなくし一から出直し。 ☆知り合いの生花店の社長から飲み屋街の路地裏の店を任される。1坪ほどの広さで早朝から深夜まで働き、一人で月300万円の売上に。 ☆現在の奥様との結婚を許してもらうために独立を決意し、28歳で店を辞める。 ☆知人に紹介された花の産地・久留米の市場で、売る当てもないままクルマに目いっぱい買い込み帰路についたところ、途中のガソリンスタンドや食堂で「いくら?」と聞かれる。単価は安いので、長崎に帰りつくまでに半分くらいがなくなる。それを繰り返すうちに常連のお客様に。 ☆長崎の繁華街で自動販売機が置いてあった小さな場所を借り、自店を再開し、風花と名付ける。空きスペースを活用する商法で、わずか二年間で30店くらいまで増やし絶好調。地元では立志伝中の人物に。 ☆29歳までは年収200万円だったのが、3000万円に。服装は派手になり、長崎の海岸に一億円即金でプライベートビーチまで購入。 ☆バブルがはじけ次第に経営悪化していた頃、商社との合弁で中国でバラを栽培して輸入販売する会社を東京で設立。が、二年で清算し8億円の負債を抱える。 ☆本社ビルや個人資産を売却して負債を4億円まで減らす。この頃、日銭を稼ぐために庭造りの仕事を手掛ける。花束なら3千、5千、1万円だが、庭を造れば5万、10万円分の花が売れる。 ☆きっかけは35歳の頃、あるお宅にパンジーの苗を配達した際「植えてよ」とレンガ積みも含めて頼まれたこと。全くの未経験だが、ホームセンターでセメントの混ぜ方を習い、レンガを買って花壇を造る。苗は競りで買うので安く、予算5万円でもかなりの庭ができ評判になり、口コミで注文が増えていく。 ☆ガーデニングブームとなり、時代の風は切り花から園芸や家庭菜園に。 ☆毎年5月に英国で開かれる「チェルシー・フラワー・ショー」を2003年に見て興奮。翌年の挑戦を決意し、費用をつくるため、父親から相続した家を売却。 ☆自らの少年時代の里山の記憶を庭園に表現し、初挑戦の日本人で「シルバー・ギルト」(銀メダル)を獲得。が、帰国後の状況は何も変わらず、話題にもならず。 ☆その後、三年連続で金メダルを獲得して日本でも注目されるようになり、スポンサーにも恵まれるようになる。 ☆緑は非効率ではなく経済効果を生む。街を緑化し、東京を「森の中の都市」に。 以下のリンクをクリックして下さると、一票投票されて人気blogランキングに反映されるシステムになっています(一日一票)。毎日更新の励みになります。→ 人気blogランキング<起業・独立部門> ご支援クリックいつもありがとうございます!ただいま28位に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.09.25 08:48:46
コメント(0) | コメントを書く
[起業家] カテゴリの最新記事
|
|