|
カテゴリ:時事ネタ
午前中、博多百年蔵様→十日恵比須神社への婚礼人力車ご用命で、雨の中ご案内。コース途中にある千代流の飾り山笠を遠目に眺めながら、往路のみの送迎。新婦様たってのご希望が叶って本当によかったですね。どうぞお二方、末永くお幸せに!!
雨の降り止んだ午後より観光拠点にセッティング。9日(日)は山笠お汐井とりの日にあたり、夕方以降は動きがとり難くなるため、16時で営業終了して撤収。わずかな時間にも飾り山笠巡りへの声掛けがありラッキー! そして業務終了後、同級生Y君が東京からの出張で来福ということで、小倉・思永(しえい)中学つながりのメンバーにも博多に集結してもらい、全4名で近隣居酒屋へ。何年か前に同じメンバーで再会して以来だが、笑える話であっという間の3時間。神谷の都合に合わせてもらっての博多での宴席に感謝!Y君、何とかFacebook登録やってみてね(笑)。 ☆二番山笠「西流」 ・表標題:肥後虎不屈逆境(ヒゴノトラギャッキョウニクッセズ) ・人形師:西川直樹氏 ・内容説明: 加藤清正は、安土桃山時代(千五百六十二生)の武将、肥後の国(熊本)の大名で尾張国愛知郡中村の生まれ、幼名夜叉丸、元服後に虎之介清正、豊臣秀吉と同郷の出身、幼少(十二歳)より秀吉に仕える。清正の武名は、天正十一年、賤ヶ岳の戦いで七本槍の一人として功名を挙げたのに始まる。秀吉の朝鮮侵略の先兵的役割を果たし漢陽を攻略、李朝の二皇子を捕縛した。その時の虎退治は有名。その後の関ヶ原の戦いで東軍に参加し、やがて肥後一国(五十四万石)の大名となる。清正は、日本三大名城の一つである熊本城の形成に努めるとともに独特の手法で肥後の四大河川を改修、灌漑用水の便を図り約八千町歩の新田を開発した。その為『土木の神様』と称された徳川幕府に服従する一方で、豊臣家の存続を念願、豊臣秀頼の二条城会見にも従い豊臣家の危機を救った。その帰途、船中で病にかかり、間もなく病没(五十歳)一生を秀吉に捧げた武将である。 Written by 人力車の博多人力屋 以下のリンクをクリックして下さると、一票投票されて人気blogランキングに反映されるシステムになっています(一日一票)。毎日更新の励みになります。→ 人気blogランキング<起業・独立部門> ご支援クリックいつもありがとうございます!ただいま位に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.07.11 10:25:09
コメント(0) | コメントを書く
[時事ネタ] カテゴリの最新記事
|
|