ミズーリ州コロンビア 1991年8月
ミズーリ州コロンビアを訪れたのは、コロラドで出会ったトムに再会するためだった。
あの時、ほんの3分程度の会話を交わしただけで僕に名刺をよこし、ミズーリ州を通過する際にはぜひコンタクトしてくれ、と言った彼のスマイルがやけに印象的だった。
コロンビアの街に入る数日前、実は事故に遭遇していた。
路肩のないハイウェイ、ある女性が運転する車のドアミラーが、僕の自転車の左後部にあるサイドバッグに衝突したのだ。
ぶつかった瞬間、僕は愛車もろともよろめき、バッグは吹っ飛び大破、スチール製のキャリアも変形してしまった。
すぐにその女性が引き返してきて謝ってくれたけれど、こちらは気が動転したまま言葉もない状態。
彼女が、僕の請求したバッグ代90ドルを小切手で支払ってくれて一件落着。普通なら当て逃げされて泣き寝入りするケースなのに、運がよかった。
この小切手、銀行で現金に換金してもらおうと思ったら、口座が必要といわれた。これはトムに頼るしかあるまい。
事故のおかげで精神的なダメージがしばらく残った。路肩のないハイウェイを走るたびにびくびくしながらペダリングしている。旅の始まりの頃は「事故なんて起こるべき時に起こるもの」と思っていたのに…。
アメリカの電話会社GTEで働くトムを訪ねたら、彼の職場の連中が大歓迎してくれた。日本びいきの人たちがけっこうたくさんいて、次から次に質問攻めにあう。
トムの仕事が終わるまでコロンビアの街を散策する。
ここは学生の街で、女子大を含めて4つの大学がある。ミズーリ州立大にいたっては、キャンパス内にマクドナルドが入っていてびっくり。キャフェテリアには日本人らしき学生が数名いておしゃべりをしていた。
3時にトムが退社、シティバンクで90ドルの小切手を換金。すぐ近くの自転車ショップに出向き新しいバッグを購入した。税込みで95ドル。あの女性から100ドルを請求すべきだったと半ば後悔。少し高めの金額を請求したつもりだったが…。まあいいとしよう。
彼の自宅はダウンタウンから少し離れたフルトンという街の中にある。ワイフのクリスと二人暮らし。家の裏には大きな池とサッカーコート二つ分ほどの広い庭がある。先月彼の妹の結婚披露パーティがここで行われて約500人が集まったのだそうだ。日本では考えられない規模だけど…。
その夜はパーティ。彼の娘夫婦たちも集まり、ベイビーも混じって大賑わい。みんな気さくで本当にフレンドリーだ。一晩中笑顔が絶えなかった。
翌朝目覚めた時にはクリスもトムも仕事に出ていた。適当に冷蔵庫の中にあるものでサンドウィッチを作って食べ、わが愛車で街にひとっ走り。ショッピングもまた楽しや。
今夜はバーベキューディナーのあと、街にあるカントリーミュージックのライブバーへ連れて行ってもらった。主にアダルト向きの店らしく、10代20代の若者は皆無に等しい。
アメリカの文化を肌で学ぶ。何事も体験することが大切なのだ。
翌日の午後に「ミズーリアン」という地元新聞社の取材を受けた。カメラマンは日本人の男性。ミズーリ州立大で写真を専攻して数年前に採用されたとのこと。久しぶりに日本語を話した。
そして出発当日の朝、KMIZ(地元のテレビ局)がクルー一行とともにやってきて取材・インタビューを受けた。
新聞の取材はそれまでにも何度かあったが、テレビ出演は生まれて初めてのこと。緊張していたせいか言葉がスムーズに出てこなくて、あとからそのビデオを見て、自分の英語のたどたどしさに恥ずかしくなってしまった。
草の根の国際交流、人々に自分がしていることをアピールすることで、世の中に何らかのプラスの変化が現れてくれることを期待している。「日本人」とか「アメリカ人」といった見方をするのではなく、「地球人」という見方をすれば、誰もがみんな同胞(はらから)となれる。
旅を通じて経験してきたことや感じたことをいろんなところで語ってきた。世の中にはいろんな人がいていろんなものの見方があって当然なのだ。何が正しい・間違っているとは一概には言えないが、少なくともいろんな人と出会って語り合うだけの価値はあるということ。
出会いと別れを繰り返して僕の旅は続く。そして僕の人生もまた続いていく。
*地元紙「ミズーリアン」掲載の記事はコチラ
*KMIZニュース(動画)はコチラ