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テーマ:旅のあれこれ(9946)
カテゴリ:回想
【夏の旅 街から街へ 心は走る】
ふとペダリングを停めて立ち止まり、今たどってきた道を振り返る。
遥か彼方に広がるあの地平線を、僕は越えてきたのだ。
大平原をまる一日走り続けていれば、地球が丸いということを信じずにはいられなくなる。 どこまでも一直線に伸びた道、今しがた通過していった車が、5分もしない内に目の前で小さな点になってしまう。
誰の指図も受けずにこの道をひた走る。自分で決めたことを自分の思うように実行していく快感。 この広大な大地に二本の足で立ち、自分が今ここに存在する意味を知る。 この世に生まれて本当に良かったといえる瞬間を僕はその時初めて経験した。
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あの時、確かに僕はあれらの風景に含まれていた。 風景の中にすっかり溶け込んでしまい、そこ外国であるということさえ忘れかけていたほどだ。 もし僕の記憶に間違いがなければ、それらの風景を構成するあらゆる要素---太陽の位置や雲の形、空の色といった細かな部分まで---をはっきりと思い出すことができる。 だけど、記憶にとどめられた風景の中では、時間は永遠に止まったまま後にも前にも動きはしない。 そんな失われた時間を、手のひらの上でもてあそぶかのように、僕は「現在」という時間の中で果てしない葛藤を繰り返している。
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夏が来るたびに僕が思い浮かべるのは、さまざまな街の風景である。 かつて旅の先々で訪れた街の、飾り気のない素朴な様子が、スローモーションビデオを見ているように断片的に僕の脳裏を掠めていく時、僕は再びその街を訪ねてみようかという気になるのだ。 それは時に、海沿いのひなびた漁村であったり、夏祭りの行われているさなかの城下町であったりする。 しかし、どんな街であれ、いったんその街の雰囲気になじんでしまえば恐れるものは何もない。 余所者(よそもの)という意識を捨て、以前からその街に暮らしていたかのように、何気ない顔をして街を歩くのだ。 幸い僕には旅人としての才能が生来備わっていたのかも知れない。 どこに出かけようと、ごく自然にその街のムードに溶け込んで、何の違和感を感じることもなく、平然とした気持ちで街そのものに同化することができる。 旅の面白さは、恐らくそんなところにもあるのだろう。 新しい自分との出会い、未知なるものへの憧れ...旅に出なければ得られらいものはいくらでもあるということだ。
(Photo: Nullabor Plain, Western Australia 1995) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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