【心が豊かだった時代に…】
天声人語 2007年12月24日(月曜日)付から
12月が光り始めたのはいつ頃からだろう。
昼が短く、明かりには縁の深い季節である。
飾るための灯がそこに重なり、街では並木が光を放つ。
今夕、その輝きは絶頂を迎える。
クリスマスを彩る楽曲には、「きよしこの夜」
「もろびとこぞりて」などの聖歌と、「ホワイトクリスマス」
「赤鼻のトナカイ」といった非宗教歌がある。
後者を代表する「ジングルベル」が世に出て、
150年になるそうだ。
1857年、米国のJ・ピアポントが感謝祭のために作り、
ほどなく翌月の、もっと大きな祭りの曲に「昇格」したという。
1965年には、ジェミニ6号の飛行士により
「宇宙で演奏された最初の曲」となる。
歌詞は馬ぞりで走る楽しさに尽きており、宗教色はない。
日本のクリスマスも、大衆文化としてはキリスト教を超えた国民行事だ。
祈りとは無関係に酒宴が催され、愛が語られ、贈り物が渡る。
2000年後の東洋で、自分の誕生日がこれほど「祝」されるとは、
イエスでも見通せなかったろう。
洋の東西を問わず、祭りは家族の「小さな幸せ」を確かめる時でもある。
ジングルベルが流れ込む部屋で、丸いケーキを切り分ける。
昭和への懐古を禁じ得ない。
〈選(え)り迷ふ菓子銀皿に聖夜くる〉小川濤美子。
いま、年頃の息子や娘は光る街に誘い出され、
イブの食卓にそろう家族がどれほどあろうか。
年金が宙に浮き、格差が広がり、値上げの嵐が吹き荒れる年の瀬、
人のつながりが最後のよりどころにさえ見える。
ケーキを分け合える幸せは、そう小さくはない。
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昭和への懐古…。
自分にもその様な思い出が少なからずあった。
クリスマスはいつも特別だった。
父がいて母がいて妹がいて、クリスマスツリーはキラキラ輝き、
食卓にはクリスマスのデコレーションケーキとローストチキン、
そして、あらかじめサンタクロースにお願いしていたプレゼントが
25日の朝には枕元に届けられている…。
きれいに肉をそぎ取られたローストチキンの骨を
ぐつぐつ鍋で煮込んで母が作ってくれるスープ…。
鶏がらのコクのある味は格別だった。
家族の絆というものを感じずにはいられない、
ささやかではあるが子供の頃の自分達にとっては
なくてはならないビッグイヴェント。
昭和という時代にあって、クリスマスというのは
良き伝統のひとつだったと言っていい。
そんな昭和という時代が終わって、既に20年目に入ろうとしている。
来年2008年は平成20年。
新しい年が明けるまでもう一週間しかない。
昭和を懐古して感傷的になっている場合ではないのだった。
「嫌な時代」と人は言う。
天声人語にも書かれている通り、
世の中はどんどん悪い方向へと
流れていっているのだろうか。
人と人とのつながり…
著者はそれを「最後のよりどころ」と呼んでいる。
人は一人では生きていけない。
つながり、支えあいながら生きていくのが人というもの。
今というのは、物質的・経済的には豊かではあるけれど
精神的には貧しい時代なのだ。
経済的には恵まれていなかったけれど、
心が豊かだったあれらの時代に、
多くの日本人が忘れ物をしてきてしまったのかも知れない。