|
カテゴリ:高見彰七
にほんブログ村 高見彰七について色々とわかってきました。 そこで一度、重要な事項を整理します。 1)高見彰七は昭和25年頃から、夢に見た観音像を追って、 観音像の製作を開始した 2)高見彰七は農家の人であり、プロの作家ではない 3)昭和31年にはみよし市の大狐、昭和35年には愛知池の大観音など、 代表作と言える大型作品も製作している 「みよし市の大狐」 「愛知池の大観音」 4)昭和36年には道路沿いに並ぶ250体の作品とともに、 当時71歳の高見彰七が全国誌で紹介される 5)その後、昭和46年の昌福寺の観音像まで、 作家活動が確認されている 「昌福寺の観音像」 6)道路沿いの250体の作品群は、平成2年頃に安全上の理由から撤去 7)そのうち58体は妙楽寺に置かれている 8)宮口神社の神馬、森下交差点の観音像など、 その後も作品の廃却が続いている 9)多くの作品が各地に移設されて四散し、現在捜索中 現在まで約110点の作品が発見されているにすぎない 10)長野県での作品の確認例もあり、作品の分布は愛知県に留まらない 11)高見彰七は知名度が高いコンクリート像作家・浅野祥雲より 1歳年上の同世代の作家であったが、 今日ではほぼ完全に忘れられてしまった 約20年間ほどの活動で、高見彰七は多くの作品を残しました。 一時期は高い知名度があった高見彰七ですが、 その後、急速に人々の記憶から消えました。 人の記憶の儚さには驚くばかりです。 【 大須 栗りん 栗三秋 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[高見彰七] カテゴリの最新記事
|