カテゴリ:健康・ハンディ・リハビリ・高次脳機能障害
2004.6/14(月)
昨日までに気持ちの整理がほぼできていたので、今日はスッキリしている。shinはOTのリハビリ、子供たちは学校と我家の普通の週明けがスタート。 義母が「あ、今日で1年ね」と呟いたが、あまり深く話す自信が なかったので静かに頷く。 2003.6/14(土) *入院1日目* 4時過ぎに次女と外出中だった私は自宅に連絡をいれました。 「お父さんが変!」と電話に出た長女の声が異常に緊迫しています。かなり平静を失っている様子で詳しい事が分かりません。 「とにかく急いで帰るから!」と電話を切ったものの、このまま冷静に運転できるかと不安になりましたが、帰路を急ぎました。 救急車は入れ違いに出たらしく、家には義母が一人留守番していました。義母の話の様子から「血管系だな」と直感しました。次女と帰ってきながら、以前尿路結石で苦しんだ事があったので、「今度もそれじゃないの」なんて言ってはみていたものの、「事態は結構シビアだ」と思いました。 救急車に同乗した義父より連絡があり、私も搬送先のH病院に 急行しました。義父と長女は救急外来のベンチで顔色悪く座っており、娘は私を見るなり「お母さん」と飛びついて来ました。かなり興奮気味で、自分が取った対応について判断が出来かねている様子。私は肩を抱いてねぎらう事しかできませんでした。義父は黙って座っているものの動揺している事はよく分かります。80歳と高齢な義父にはとてもきつい場面だったことでしょう。 6時過ぎにDr.Kより説明がありました。 左視床からの出血であること、視床の直近に運動中枢があるので手術は無理であること、現在は右手足にマヒがあり言葉も不明瞭であること、…が現状でした。 私は理解できているのかいないのか、自分の判断力すら分からない状態でした。 ICUに落ち着いてから本人と面会しました。義父は「負けるな。頑張れ!頑張れ!」とshinの手を握りながら何度も何度も 呼びかけていました。娘は「お父さん」と呼びかけるものの、それ以上は言葉が出ないようでした。 8時過ぎに義父と娘を帰した直後から、shinが暴れだしました。喋りはするものの意味不明のことばかり。 状況が分からずパニックになっているようです。ベットから 落ちて再出血が起きないようにベットに拘束されました。 それでも落ち着かないので沈静剤の注射です。 それからCT検査、水頭症緩和のためドレナージ挿入手術…とshinが再びICUに戻ってきたのは午前1時半過ぎでした。 手術は成功しましたが、「万一という事もありますのでご親戚にはご連絡された方が…」と言うDr.Kの言葉。この時ほど傍に誰かいて欲しい…と思った事はありませんでした。 寝ずに待っていた両親に報告を済ませ、義母から貰った眠剤を飲んで横になったのは、午前3時半でした。 なんともすさまじい1日! これからどうなるのだろうか…そう思いながら眠ってしまった私でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.06.24 14:03:02
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