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2023.08.24
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カテゴリ:広井勇

六 技術者としての旅立ち
 博士等の札幌農学校を卒業するや、同期生一同は、明治十四年七月二十九日付をもって、開拓使御用掛(準判任官月俸三十円)を申し付けられた。博士は最初、民事局勤務の命を受けて、三、四か月の間は、同局の勧業課に勤めていたが、同年十一月二十一日、煤田開採事務係を命ぜられ、鉄路科勤務となって、技術界に身を立てようとした年来の希望が達せられ、幌内鉄道建設工事の一部を担当することになった。
 幌内鉄道は、北海道における最初の鉄道で明治十三年一月起工され、幾多の困難に遭遇したにかかわらず、同年十一月末、その一部を竣功した。ついで十五年十一月十三日、手宮幌内間五十六マイル三テーン〔一マイルは約一六〇九メートル、一チェーンは約二〇メートル〕を開通したこれは北海道開拓史上顕著な鉄道である。
 博士が学窓を出でて実地に臨み、最初に手に掛けたものはこの鉄道の一小橋梁の建設であった。博士はこれに智能を傾注した。学理の上には十分の自信があっても、架設の実際に臨みてはある種の不安を感ぜざるを得なかった。それのみならず工事当事者として重大な責任を思うては夜間就眠の暇さえ念頭を去らしむることができなかった。
 しかしながら、努力の効果はついに空しからず、まして博士の真摯なる努力は直ちに報いられ、首尾よく処女工事を竣成せしめる事が出来た。
「我が造った橋、それが実際の荷重に堪えるであろうか」若き技術者の胸を刺すこの憂慮は技術家ならでは想像の及ばぬところである。いよいよ列車の試運転が行われようとした時、博士は顔色蒼然として四肢震うの有様であった。技術に欠点あるを憂えたのではない。万一の事あらば責任をいかにすべきかをおもんばかったからである。
 やがて列車は驀(まっしぐ)らに走り去った。博士の技術を信頼するがごとくに、成功を祝福するがごとくに、前途を自信づけるがごとくに、・・・・・・

幌内鉄道工事の主脳技術者は、我が国における鉄道の開拓者ともいうべき、松本荘一郎、平井晴二郎、ジョセフ・クロフォードの三氏であったが、真摯にして勤勉なる博士は、よくこれらの人々の信を得ることができた。
 松本荘一郎氏は、当時開拓使庁の煤田開採事務副長であったが、広井の技量と堅実な精神とを認め激励した。広井がその門出において松本氏のごとき有力なる先覚者の知遇を得たことは、博士の前途をして赫々(かくかく)たる光輝あらしめ、後年世界的工学者として盛名を馳するに至らしめた大きな力の一つであったであろう。
 その頃、広井はある家の二階を借りて自炊生活をしていたが、常に勉強を怠らず、片手にうちわをもって火をあおりながら、片手には書物をひろげて読書に熱中し、物の焦げ付くをも知らないというふうで、いつも満足のものを食うことができなかった。飯をたくに、火鉢の上に土鍋をかけて、研がない米を水と一緒に鍋に入れ、沸騰するにしたがってこれをかき回すという具合だった。できあがったものは粥とも飯ともつかないものであった。しかも博士はそれを常食として、少しも意に介さなかった。また副食などはたいてい安価な缶詰類で間に合わせていた。
 勉強のために寸暇を惜しみながら、なぜこの不自由な自炊生活に甘んじていたか、その真意を解しなかった友人たちはただその辛抱強さに驚き、かつは平気な顔を怪(あや)しんだ。
ボーイズ・ビー・アンビシャス第4集 : 札幌農学校教授・技師広井勇と技師青山士」の写真がWEBCATに載っていた 少し嬉しい | GAIA ...






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最終更新日  2023.08.24 04:16:34



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