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報徳記
巻之六【5】下館領中三邑に安民の方法を発業す 衣笠大いに悦び君に白(まう)し大夫(たいふ)諸臣に達し、共に開業を先生に請ふ。 先生門下某(それ)に指揮し、同二月領中に撰(えら)み灰塚(はいつか)下岡崎(しもをかざき)蕨(わらび)の三邑(いふ)に開業せしめ、大いに仁惠を下し善良を賞し窮民を撫恤(ぶじゆっつ)し、家小屋を與(あた)へ農具を給し負債を償ひ、道を築き橋を架(か)し其の困窮を除き、其の生養を安んず。 三邑(いふ)の民大いに悦服感歎止まず 是(こゝ)に於て教ふるに人倫を正しくし推讓を行ひ、舊弊(きうへい)を一洗し、勤業(きんげふ)永安の道に至ることを以てす。 邑(いふ)民歡喜(くわんき)善に移り業を勵(はげ)み淳厚の風俗に變(へん)じ遠近の邑(いふ)皆風動(ふうどう)し専ら方法を欣慕(きんぼ)せり。 (原文漢文) 高慶曰く、 大なる哉(かな)。 至誠の道。 先生下館候の爲に誠を盡し分度を定め百年の艱難を振ひ危亡の萌隷を濟ふ。 蓋し永安の道煥然として火を觀るが如し。 下館君臣をして心を一にし力を戮せ慎て先生の法を守り確立して移ること無らしむ。 則ち國の興隆立て待つ可べなり。 惜いかな。一たび其の法を廃して國亦た從て振はず。 区々力を其の末に致すと雖も復何の益か之有ん。 蓋し四時循環して差はず万物生々息ざる者至誠を以て也。 何ぞ独り衰頽を挙んと欲して至誠の道に由ること無きを得んや。 「補注 報徳記」(佐々井典比古)より 著者(富田高慶)が思うに、 至誠の道は、まことに偉大なものである。 先生は下館候のために誠をつくして分度を定め、百年の艱難を救い、亡国の危機を防がれた。 永安の道はカン然として火を見るように明らかに備わった。 そこでもし、下館の君臣が心を一つにし力を合わせ、慎んで先生の法を守り、分度を確立して移ることがなかったならば、国の興隆は立って待つべきであった。 惜しいことに、ひとたびその法を廃して(弘化元年、減俸を中止した)から自然国も振るわなくなり、区々たる末事に力をつくしたが何の効果もなかった。 けだし四季が循環して狂わず、万物が生々してやまないのは、至誠によってである。 頽廃を興そうとするときだけ、どうして至誠の道によらないで成就し得ようか。 ![]() 「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、言葉の使い方の教科書です。
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最終更新日
2023.10.26 00:00:21
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