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家曜日~うちようび~

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Q輔とU子と「子供大人化計画」

2021.05.01
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ここのところ、子を持つ親として「いじめとは何か」を考えている訳だけれども。

ここいらで、自分の学生時代を振り返ってみようかな。

疑問、誤解、反感を覚悟で正直に申しますが、自分の小中高の学生時代を振り返ると、

自分の周りには、いわゆる「いじめ」や「スクールカースト」的な構造は無かったと記憶している。

正確には、あったのかもしれない。ただ僕が気付いていなかったのかな。

重ねて、疑問、誤解、反感を覚悟で正直に申しますが、

僕は、幼少の頃から自己承認欲求というのが極めて薄い人間だった。

ハッキリ言って、他人の評価など知ったことかと思って生きていた。

たとえ物質的に群れの中にこの身を置いたとしても、心はまったく別の場所を漂っていた。

心理学者アブラハム・マズローの「欲求5段階説」によれば、

人間の欲求には5段階あり、低次の欲求が満たされると、高次の欲求が現れてくるという。

①生理的欲求=基本的・本能的な欲求。食欲、性欲、排泄欲、睡眠欲など。

②安全欲求=安心・安全な暮らしへの欲求。

③社会的欲求=友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求。集団への帰属を求める欲求。

④自己承認欲求=他者から尊敬されたい、認められたいという欲求。

⑤自己実現欲求=自分の世界観・人生観に基づいて、あるべき自分になりたいという欲求。

多くの人が、④の欲求を満たしては枯渇し満たしては枯渇する「自己承認欲求の餓鬼」と化し、

SNSという無限地獄で、広く浅い「いいね」を求め彷徨っていることが、昨今問題視されている。

しかし、このマズローの説によれば、自己承認欲求とは、

少なくとも食べるものに困らず、屋根のある家に住み、当然のように家族がいて、

学校があって、会社があって、仕事がある、という①~③の欲求は満たされた上での、

高次の欲求ということになる。

難民、被災者、戦禍の民は、当然自己承認欲求以前の欲求に枯渇しているわけだから、

自己承認欲求とは随分と贅沢な欲求である。良くも悪くも、置かれた環境が平和であることが大前提だ。

さて、僕のように自己承認欲求に飢えることのない人、あなたの周りにも稀にいるでしょう?

そういった人達は、何故日頃から欲求に淡泊でいられるのでしょうか?

その答えは実にシンプルです。

既に自己承認欲求が満たされきっているからです。

人によって食材はそれぞれだけど、常に何かでお腹いっぱいなので、眼前のケーキに惹かれない。

自己承認欲求が無い人などいない。ただし常に満たされている人は稀にいる。ここがポイント。

かつての僕にとって、僕の自己承認欲求を満たしてくれる存在、それは母でした。

今は妻のU子さん。

経験上、僕は自己承認欲求は、量より質だと思っている。

この世界にたった一人、自分のことを無条件に受け入れてくれる人がいる。

この事実は、何万件の「いいね」に勝る安心感、安定感、自己肯定感を人に与えてくれるものなのだ。

ちなみに、先の心理学者のマズローは、更に高次の⑤自己実現欲求の成功者に共通している特徴として、

「限られた人たちと深い人間関係を結んでいる」ことを挙げている。

多くの成功者たちの人間関係は、実は狭い。そして深いのだ。

僕の母は決して過保護ではなく、逆にややネグレストの傾向のある人だったし、

僕が母と殺人事件のニュースを観ながら「もし僕が人を殺したらどうする?」と質問したら、

「うちの子を死刑にして下さいと、裁判官に全力で訴える」と平気で言うような人だった。

それでも僕の心は、常に母で満たされていた。

この人は、勉強が出来たら認めてあげるとか、スポーツで一番になったら認めてあげるとか、

私の言う通りにしたら認めてあげるとか、条件付きで僕を認めようとしない。

この人だけは、無条件で僕という存在を認めてくれる。そんな染み入るような安心感があった。

母のことだから、もし僕が人を殺したら、本当に絶対に僕を死刑にしたと思う。

上手く言えんけど、それでも、最後は僕という存在を人知れず受け入れてくれるというか……。

そんな環境にいた僕が、他人の評価、周囲の目、同調圧力、いじめ、スクールカースト、

いちいち気になろう筈がない。

オヤとか、コとか、カゾクとか、何を定義としているのか、考えれば考えるほど分らなくなるけど、

ただまあ、僕も我が子にとって、かつての母や今の妻のような存在でありたいと思う。

もし自分の子供がいじめにあったら?

先ずはその子の置かれた今現在を、無条件で受け入れる。全てはそこからだ。

以上っす。







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最終更新日  2021.06.13 09:32:49
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2021.04.29

いじめは無くならないと、したり顔で言う人がいますが、

僕は、そんなことないと思います。

いじめは無くすことが出来ます。

少年法を取っ払い、徹底的に法を強化すればね。

頭の良い子であろうが、運動の出来る子であろうが、容姿が美しかろうが、

親が金持ちであろうが、親が大臣であろうが、逆に家庭に同情すべき問題があろうが、

いじめっ子はいじめっ子。加害者は加害者。即逮捕。刑務所行き。

犯罪者は犯罪者。前科者は一生涯前科者。これからの人生の重き足枷とする。

これまでモラルやマナーで訴えかけても、まるで減少しなかった交通違反が、

近年道路交通法を強化することで、明らかに減少しているでしょう?それと同じです。

いじめも、モラルやマナーでは、歯止めが利きそうにない。

だからこそルールだ。法律だ。

徹底的に法律で縛る。違反した者は犯罪者。罰金を払う。人間免許証から減点される。

そうすれば、いじめっ子もその親も、観衆や傍観者やその親たちも、いよいよ真剣に考え始めるでしょう。

……まあ、現実的な話ではねえなと、重々分かっちゃいますけど。

なにしろ少年法は他の法律とは違い、

未成年が法律を破る行為をした時、罪を反省させ、教育を受けさせ、

その子を取り巻く環境を調整し、その子にやり直すチャンスを与えることを主軸においた法律ですから。

簡単に言うと「罪を何とかして無かったことにしてあげる」法律ですからね。




さて、今回はいじめっ子について、自分なりに考察します。

いじめっ子は二つに分けられます。

先ずは「境界知能」のいじめっ子。

いじめっ子の一部には「反省以前の子供」が混在している可能性があるそうです。

認知能力が弱く「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない子供。

「知的障害者」と「健常者」とのボーダーラインの子供達。

悲しいかなそれは、いじめられっ子の一部にも存在するらしく、

俗に、いじめっ子といじめられっ子の人格は表裏一体である、なんて指摘されることもあります。

ですから、本来いじめが発生した場合は、被害者のカウンセリングと同時に

加害者のカウンセリングも入念に行うべきなのですね。

少なくとも僕は、もし自分の子供が加害者であったら「境界知能」か否かの検査をします。


次に、「健常者」のいじめっ子。

こういったいわゆる「確信犯」的な子供たちでさえ、少年法は手厚く保護してくれます。

まだ脳が未成熟な十代の子供たちは、一見して自分たちの意思を強く持っているようで、

実は置かれた環境の影響をもろに受けるので、

学校に行くのが当たり前の環境では、ふつーに学校に行きますし、

マスクをするのが当たり前の環境では、ふつーにマスクをしますし、

人を殺さないのが当たり前の環境では、ふつーに人を殺しませんし、

戦争をするのが当たり前の環境となれば、ふつーに銃を持つでしょうし、

いじめは無くならないと大人が容認してくれる環境なのだから、

そりゃあ、ふつーにいじめもするのでしょう。環境って大きいですね。

逆に言えば、いじめは人殺しと同等の一生をかけて償うべき大罪である、という環境に子供を置けば、

子供たちはその環境に影響されてくれるのではないでしょうか?




百歩譲っていじめは無くならないというのが本当であれば、

僕はやはり「かつてのいじめっ子たち」の意見が聞きたい。

大々的な「いじめ肯定論」を心の底からぜひ読みたい。

自分の人生の成功は、人をいじめ抜いたから!人を人と思わぬ振舞いが出来たから!

人を死に追いやっても、まるで罪悪感を感じなかったから!人生を勝ち抜くとはそういうことだ!

いじめは楽しい!いじめは気持ちいい!いじめ最高!いじめ万歳!と声高らかに謳って欲しい。

その発言が僕の既成概念を唸らせる立派な内容であれば、僕はフェアに内に取り入れ、考えを改めたい。

んが、そんな理論には、いまだお会い出来ない。

たまーにテレビで、爆笑問題の太田さんが、モソモゾッといじめ肯定論を展開しているが、

実に言いにくそうだ。まあ、あれは世間の風潮に対してあえて言っているっぽいけど。

世間の頭の良い人達がせっかく「いじめは無くならない」とおっしゃっているのだから、

いじめっ子OBたちは、ぜひ声を上げて欲しい。

被害者のカミングアウトはよく見聞きするが、加害者のそれは皆無だ。統計上辻褄が合わない。

人を人とも思わぬ心を持つあなた方じゃないか。今になって、こそこそしなくてもいいのに。





ほんとうに、いじめっ子はどこに消えるのだろう?

ここで、一つの仮説を立てみよう。

はじめっから、いじめっ子なんて存在しないという考えだ。

「自分は人をいじめている」という自覚すらない子供たち。

自分を俯瞰するということが、まるで出来ない子供たち。

そういう子供が大人になり、社会に溶け込んで、自分とよく似た子供を産む。

その子供がまた自覚なきままいじめを行い、大人になり社会に溶け込む。

だから「私はいじめをしました!」という大人の声は聞かぬが、

大人達は「いじめが無くなるはずがない」ということだけは感覚的に知っている。

胸に手を当てて思い返してみると、僕だって、あなただって、その一員なのかもしれない。


友達と遊んだこと、部活でがんばったこと、恋愛したこと、そんな楽しかった記憶や、

友達に裏切られたこと、部活で負けたこと、失恋したこと、そんな悲しかった記憶は、

僕たちは、言われんでも、頼まれんでも、しっかり憶えているものであるが、

人をいじめたこと、それをはやし立てたこと、それを見て見ぬふりをしたこと、

などという、自分にとって都合の悪い記憶は、無意識に無かったことにする。

すっかり忘れて、社会に溶け込み、結婚して、子供を産んで、幸せに暮らしている。

今日も人を人と思わぬ振舞いや書き込みをした人間が、月9ドラマでメソメソ泣いていたりする。

金八先生の再放送で号泣したりする。路傍の子犬の死体を見て手を合わせたりする。

我が子の成長にホッコリしたりする。花を愛で、風を感じ、詩を詠み、流れ星に祈ったりする。

僕たちは、人を人と思わぬ振舞いをしたことなど、一度も無い。

全ては無かったこと。何も無かった。何も無かったのだ。


いじめっ子はどこへ消えるのか?

これからもきっと、加害者無き被害者が、たくさん自殺する。

法律とは、いったい何の為にあるのだろう。



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最終更新日  2021.04.30 07:38:51
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2021.04.26



集団のいじめは、四層構造に分けられるという理論は、よく見聞きします。

いじめられっ子=被害者

いじめっ子=加害者

面白がって見ている子=観衆

見て見ぬふりをする子=傍観者

ってやつね。

この構造をドラえもんの登場人物に例えて、

上から、のび太、ジャイアン、スネ夫、しずかちゃん、

などと分かりやすく言い換えている記事もある。

うーむ、なるほどね、言い得て妙です。

さて、さっそく持論。

もしこのいじめの四層構造の理論が正しいのであれば、

我々子を持つ親は、ある過酷な現実を突きつけられていることにお気づきか?

それはね。

仮にうちの子供のクラスにいじめが発生したとして。

幸いにして、うちの子供はいじめの被害者ではなかった。とする。

その時、ああ、よかった、うちの子はのび太じゃなかった。

と親はただ安堵しがちであるが、それは浅はかというもの。

もしいじめの四層構造の理論が本当であり、うちの子供が被害者でないのであれば、

当然うちの子供は、加害者、観衆、傍観者のいずれかに属したことになるわけです。

つまり僕の愛する我が子が、

のび太を殴ったり蹴ったり上靴を喰わせたりして、快楽を得るジャイアン。

てめえなんか奴隷なんだよ!ちょーウケるんですけど!と笑いながらはやしたてるスネ夫。

のび太の悲鳴が轟くいじめ現場をただの風景のように、スマホをいじりながら通り過ぎるしずかちゃん。

のいずれかに属したということです。

うわあ、これ、僕的には自分の子供が「のび太」であった場合よりキツいんですけど。

子を持つ親御さん。みなさんはどうですか?

ああよかった、うちの子はのび太ではなかったと、胸を撫で下ろしますか?

ジャイアンにように、たくましいのが一番?

スネ夫のように、したたかでズル賢い子であってほしい?

しずかちゃんのように、馬鹿は相手にしない生き方が理想?

てか。

この四層構造の中で一番マトモなのは誰だろう?

この四層構造の中で一番イカレているのは誰だろう?

この四層構造は、集団生活における自然現象であり、これはこれでいたって正常?

それとも、この四層構造に存在するもの、何もかもが異常?

僕は、自分の子供がいじめの被害者になってほしくはないけど、

いじめの加害者や観衆、そして恐らく実は一番罪深い傍観者にも、絶対なってほしくないなあ。

つっても、綺麗ごとばかりを書き連ね、ただ天に嘆いていても仕方あんめえ。

現実を見よう。建設的に考えようじゃないか。

差し当たって、うちの子供が、四層構造のどこの予備軍かという予測だ。

先ず長女。・・・そうさなあ、長女は恐らくいずれ、のび太。かろうじて、しずかちゃんか。

つぎに次女。・・・こいつはどこかしらスネ夫の気がある。したたかで調子がいい。要注意。

とにかく勇気を出して「子供は天使なんかじゃない」という前提で教育をして行かねば。

そうなると、この子たちを具体的にこの四層構造の、どの層に向かって育てるかという難問に直面する。

親が学校という心身共に未熟な発達途中の者たちの集団に我が子を送り出している以上、

現実から目を逸らさず考えると、そういうことになる。

まあ、僕としては、言葉にすれば口が腐るし、活字にすればPCのキーボードも腐るので、

あまり使いたくないワードであるが、いわゆる「スクールカースト」などという、

親の扶養下にいる成人前のガキンチョの社会構造などに、これっぽちも属さなくとも、

実際のところ、ごく普通に、毎日陽気に、学校生活などは送れると思っている。現に僕がそうだったし。

はなっから集団に期待しない。「ここにいながらにして、ここにいない」の精神さえあればね。

ただ、それはかなりの離れ業なので、我が子にそれを進めるのは、ちょっと違うなあと思う。

ここで一つの希望的観測がある。

傍観者の中から、時に凛とした批判者が生まれることがあるという。

ドラえもんの登場人物でいえば、出木杉君であろう。

屈することなき批判者の前では、加害者も観衆も抑制されるという。

うーむ、出木杉君かあ。

出木杉君の方向で行ってみるかあ。

だって、納得のいく選択肢は、それしかないのだから。

しっかし、こいつはかなり難易度高けえぞ。

まあ、何とか子供と一緒に出木杉君の方向で探ってみるか。

「助けて!ドラえもん!」

なんて叫んだところで、

ドラえもんは、どこにもいないのだ。






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最終更新日  2021.04.27 07:24:08
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2021.04.24

【相談】 

Q輔さん、こんにちは。

子供がいじめにあったらどうしますか?

(名古屋市、46歳 ペンネーム・Q輔)





【お返事】

なんか、小学校のいじめが急増しているんだってね。

うちの娘たちも、上は五年生、下は一年生。

これまであまり真剣にいじめについて考えたことは無かったのだけれど、

ぼちぼち親としての自分の考えを、しっかりと立ち上げておくべきかなと。

というわけで、誠に勝手ながら、しばらくこのブログを借りて考察したいと思うとります。

きっと重い内容になるし、間違ったことを書くもしれません。

ヤバいと思う人は、すんません、読まんとってくんさい。

さて。

少し前、ふと思い立ち、僕と娘たちとの、いじめに関するファーストコンタクトとして、

とある名言を、大きな声で読み聞かせました。

それは僕が中学生の頃からずっと大好きな甲本ヒロトさんが

学校に居場所がない子に言ってあげられることはありますか?

という質問に対してのコメントです。

あまりにも素晴らしいコメントで、けっこー有名です。

今日なんて日は、それを記して終わります。



学校に居場所がない子に言ってあげられることはありますか?


【甲本ヒロト】

居場所あるよ。席あるじゃん。そこに黙って座ってりゃいいんだよ。

友達なんていなくて当たり前なんだから。

友達じゃねぇよ、クラスメイトなんて。

たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。

趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。

山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、

『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。友達じゃねぇよ。

ただ、友達じゃないけどさ、

喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?

その訓練じゃないか、学校は。

友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と、

喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。

だからいいよ、友達なんかいなくても。


この名言を切り口に、

いじめについて、子を持つ親としての、僕の答えを探って行こうかな。 


Q輔さん、ご相談、ありがとうございます。




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最終更新日  2021.04.27 07:24:56
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2021.04.06



こいつだけは、大きくならないんじゃないか。


ずっとおチビちゃんでのままでいてくれるんじゃないか。


もともとそういうたぐいの生き物なんじゃないのか。


ね、そうでしょ?


そういうことにしとけばいいじゃん神様。





なんちゅう父の淡き桜色の期待は、本日儚く散り申した。

ああ、何たることだ、次女が一年生になってしまった。

ちっ。

この世界一かわいい裏切り者め。





とは言うものの、この面子を見る限り、

まだまだ長げえな、この「子供大人化計画」。

ちょ、ちょ、ちょ、ちょいとそこ行く神さんよ。

どーか私に仕事をお与え下さい。

何でもやります。

贅沢は言いません。

どうかこの私に、

健康な体と心、

そして惜しみなき試練をお与え下さい。


さて。

明日もがんばって働くとするか。



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最終更新日  2021.04.06 17:48:30
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2021.01.11

​​​そうかあ、今日は成人の日かあ。

思い出すなあ、成人式。

懐かしいなあ、成人式。

瞳を閉じれば、まぶたの裏に、

今でもはっきりとあの日の風景が・・・

・・・・

・・・・

・・・・

・・・・

・・・・

あれ、思い出せねえ。

・・・・

・・・・

まるで記憶がねえ。


・・・・

・・・・

・・・・

だって、僕、成人式、

行ってないからね。

家でぐーぐー寝とった。ははは。

やっぱあれだね、生まれた赤子が二十年生きたというだけで、成人すると思ったら大間違いだね。

かつての僕みたいに、自分は成人するに値しない人間だと自ら判断して、出席を自粛するひねくれ者もいる。

そのくせ夜の同窓会だけは、片っぱしからタダ酒飲んでやるってんで、

友人の集いから、まったく知らねえ連中の集いまで、五軒もはしごする大馬鹿野郎もいるのだ。たはは。



今年は、例年の成人式を中止するところが多いんだってね。コロナでね。

例年のいわゆる「荒れる成人式」の当事者たち、諸先輩方は、自分の後輩たちをどう見ているのだろう?

よかったねえ。僕や君たちの時代には、たまたま成人式があって。

式がなければ、荒れることも出来ない。

式がなければ、出席しないという選択も出来ない。

せいぜい、当時式を開催してくれた地方自治体や、それを警備してくれた警察や、

君たちが殴った大人や、君たちを白い目で見てくれた日本中に感謝だね。

式がなければ、悪ふざけすら出来ないからね。

今思えば、呆れるほど、平和な時代だった。

恥ずかしいね。

反省しようね。




最近は2分の1成人式ってのがあるにはあるらしいが。

うちの長女が十歳だから、ちょうどそれにあたるのだけれど。

まあ、うちは取り立ててお祝いはしていません。

写真屋さんで写真ぐらいとも思ったけど。

なんとなく、それもしていません。だたもう、なんとなくです。

しっかし、もう十歳かあ。

あと十年なんて、

​あっ​という間なのでしょうね。

でしょう?

あははははははは。





うちの娘たちが成人する頃には、この日本はどうなっているのだろう?



十年後もまだ、成人式は中止されているのかな。

十年経ったらきっと、我が子の眩しい振袖姿が見られるのかな。

十年経ってもまだ、悪ガキどもが悪ふざけ出来る式典はあるのかな。

そのころにはもう、成人式なんて無くなってるのかな。



・・・がんばらなきゃ。




二十歳になる若者たち。

昨日までの「当たり前」が、目の前ではらはらと、

まるで砂の城のようにもろく崩れ去ってゆきます。

今日の「あたり前」だって、明日になればハッキリ言ってどーだか分かりません。

そんな何だかもう第三次世界大戦のような毎日のなかで、

今日まで、なに不自由なく君たちを育ててくれた、君のまわりの立派な大人たちに、

せいぜい感謝することだよ。

よい服を着させてくれた、おいしい料理を食べさせてくれた、温かい部屋を与えてくれた、

君の親に、親に代わる人に、惜しみなく感謝して下さい。

感謝しろっつーの馬鹿野郎。


大変な時代になっちゃったけど、もう散々って感じだけど、

否が応でも、今日から大人の仲間入りになっちゃったわけで、

ま、とりあえず、ご成人おめでとうございます。


あと。


パパ、ママ、お疲れさん。

がんばった。

あんたらぁ、よくがんばっただよ。





ちなみに、先日長女が、

「パパは、私がどんな人と結婚して欲しい?」と聞くので。

しばらく考えた末、

本を読む人。

そう答えておきました。


よかったかな?


ま、これでいいのだ。



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子供大人化計画はまだまだ続く。僕の妻のルーム↓






最終更新日  2021.01.12 07:24:52
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2020.11.29



ねえねが、10歳になりました。

バースデーケーキのイラストは何にする?という妻の質問に、

「鬼滅の刃の、霞柱・時透無一郎君!」
と、長女は即答したそうです。

ケーキを注文してから数日間、

妻は、どーしても腑に落ちないっちゅーか、納得いかないっちゅーか。

いーんだけどさ、別にいーんだけど、念のため、あくまで念のため確認させてね。

無一郎君のどこが好きなの? 

こんな黒い学ラン着た男の子、どちかっつーとキャラ地味めじゃん? 

てかバースデーケーキに不向きじゃん?

と、けっきょく誕生日前日に、長女に聞いちゃったらしい。

そしたら長女のやつ。

もちろん、好きなのは善逸だよ。でも好きなキャラって食べにくいじゃん。

無一郎は、ふつー。だからふつーに食べれる。

だって。


・・・な、な、な、何て?


・・・め、めんどくっせー。


いちいち、めんどくせえ!

というわけで、

本人が「たいして好きでもないキャラ」がこれ見よがしに描かれたケーキを囲み、

みんなで、どうテンション上けていいやら困惑しながら、かろうじてハッピーバースデー。




プレゼントは、かねてからの予定どおり、自転車。

サイズ的に限界になったこれまで乗ってた自転車は、次女にお下がり。


こっちは喜ぶ顔が見たくてやってんのに、

何であの子は、ああやって人をがっかりさせるのかしら。

我が子ながら、まったく理解しかねる。

そう嘆く妻に、だ、だよね~、なんつって、同調しつつ、

実のところ、僕は長女の気持ちが分らんでもない。

せっかくのバースデーケーキだ。雑念なく心から美味しく食べたかったのだろう。

だから、食べるのが惜しくなる一番好きなキャラを避けた。それだけの話だ。


僕は長女の考えていることが、おおよそ分る。

嫌になるほど、性格がよく似ているのだ。

たとえ世界中が、お前に、うーんって感じでも、

パパはお前の理解者だから。


と、直接本人に伝えたこともある。

これはべつに、家族のなかで長女が一番好きとか、そんな次元の話ではねっす。

ちなみに僕は、もしも妻、長女、次女がアイドルユニットだったなら、

そのライブでは、次女のハッピを着て、次女のウチワを持って、

ゴーゴーラブリーラブリー次女ちゃーん!と叫ぶ。

かわいいから。

また、妻、長女、次女が、同時に川で溺れていたら、迷いなく一番に妻を助ける。

一番大切だから。


でも、長女は、ちーと違う。

僕は、大勢の子供たちが遊ぶ大きな公園で、

迷子になった彼女をすぐに見つけ出すことが出来る。

幾千の名もなき七夕の短冊の中から、

すぐに彼女の願い事を探し出すことが出来る。

幾万の名もなきメッセージカードの中から、

すぐに彼女の書いた「彼女が望むモノ」を見つけ出し、

その靴下にそっとプレゼントを偲ばすことが出来る。

分身だから。


「分りあう」とか「歩み寄る」とか、

本来それをするのが困難な関係の者同士が使用する為にある言葉だと思うのです。

時に、そんな言葉をわざわざ発する必要のない、自然と居心地のよい人物と出会う機会がある。

それは、親兄弟という血の繋がった関係であってさえ、そう簡単に得られる出会いではないのだが。

長女には、僕という揺ぎ無き理解者がいる。

理解者が、実の親であり、父である。

もうそれだけで、彼女はけっこーな幸せ者だと思うのである。

この小便臭い小むすめ!ちったーパパに感謝しやがれ!

心があるのか無いのかよ―分らん長女の、

まるで時透無一郎君のようなスカシ顔を見るにつけ、

そう思うのである。たはは。




妻のサプライズプレゼント。善逸の懐中時計。

長女、めちゃめちゃ喜んどった。あはは。

この小便臭い小むすめ!パパの何倍もママに感謝しやがれ!ママ泣かせたら承知せんぞ!

心があるのか無いのかよ―分らん長女の、

まるで時透無一郎君のようなスカシ顔を見るにつけ、

そう思うのである。ぶはは。



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奔放な長女にいつも振り回されている、生真面目な妻のルーム。↓







最終更新日  2020.12.06 11:22:28
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2020.11.21
長女がこの11月で10歳になる。

もーとっくに10歳だと思っとったでかんがや。

まんだ9歳なんだって。あっそ。ふえー。





さて、長女の誕生日を過ぎれば、次なるイベントはクリスマスってこって。

子供たちが、待ちに待ったサンタクロースのプレゼントてこって。

はて、今年は何をいただけるのでしょうか。


てかさ。

保育園児の次女は、いまだ無邪気にサンタを信じまくりなんすけどね。

10歳ともなる長女の方は、ま、ハッキシ言って微妙でね。

今年こそは夜通し眠らずサンタの正体暴くべし! 

サンタ確保すべし!

なんちゅー発言もチラホラ。はははは。

んで、困ったことに、うちの長女ってば、

そういう「サンタ狩り」的なこと、実際に行動に移しそうなタイプなのよね、歴然と。

まあ、そんなこんなで、

実はフィンランド在住のサンタクロースと繋がりがあるという、恐るべき人脈をもつ妻が、

先日、サンタさんから重要なラインが来た、という報告を子供たちにしてました。

その報告とは、

今年のクリスマスは、この新型コロナウイルス禍につき、

感染予防対策として、サンタさんは、子供たちの枕元にプレゼントは置きません。

誰もいないリビングに、ちゃっと置いて、ちゃっと帰ります。

チビッ子諸君、悪しからずご了承してちょーす。

とのこと。



・・・なるほど、ベリーナイスだ妻。

いいや、サンタさん。



このご時世、

サンタクロースも、ソーシャルディスタンスなのね。




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U子のモノ↓





ちなみに、明日も、明後日も、更新しまっし。






最終更新日  2020.11.22 13:46:54
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2020.11.07


仕事しとったら、妻から、突如こんなラインが届いた。

愛知県東郷町にある「ららぽーと」に来ているとのこと。

早く連れて行ってよ!と、さんざんせがまれていたのだが、

めんどっちいので、ずっと知らん顔しとったら、

意を決して、遠方まで自力で運転して行きよった。

子供らと、アニマルカフェで、遊んどる。







お、おーーーーーい!







お、おーーーーーい!







お、おいってば!








おいってば、おい!



・・・蛇柱かよ。


ったく。


しれっと「じゃあ仕事がんばって」じゃねーっての。




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最終更新日  2020.11.08 07:54:25
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2020.10.31
​​​​



次女は、こまっちゃくれ。

姉がいるからか、言葉の覚えも早く、発言もおませさん。

先日も、姉妹の何気ない会話を聞いていたら、

姉の「ハイハイ」という気だるい返事に対して、

次女のやつ、妻が子供らを叱る時のような厳しい口調で、

ハイハイは、一回っ!

​だって。 

ななな何て?? 

こらこら、人を言葉の迷宮にいざなうな。ははは。




そんな、ちゃくれきれないこまっちゃくれ、次女の悩みが、お・ね・しょ。

来年はピッカピカの一年生だというのに、いまだ忘れた頃に、お漏らしになられる。

んで、ちょいちょい布団にアンモニアの世界地図を描かれてはかなわんと、

いつからか妻は、次女に「おねしょズボーン」なるものを履かせるようなった。

おねしょズボーンとは、迷える子羊がズボーンの中で、ぶっちぎりで自分を出し切っても、

聖母マリーアのごとき愛で、その全てを受け止め、

お布団にゃ一滴たりともおこぼれナティングという神なるズボーンだ。


とはいえ、だからおねしょをしてよいということではなく、

しちゃったらしちゃったで、ママに厳重注意はされるので、

こまっちゃくれ嬢、しちゃった朝はママが寝ている隙に、こっそり僕のところへ来て、

パパ、Oちゃん、おねしょしちゃった。

お願い、ママに見つからないように何とかして。

そうしたら、Oちゃん、パパにチューしてあげるから。


などと言う。


な、な、な、なんて女だ!

​よりによって色仕掛け!​

一番嫌いなタイプの女だ!

おま、​​どこの子だ!​​

​馬鹿にするな!​

​たかがチュー!​


されど、チューってことで、

ノリノリで次女と隠ぺい工作に励むのである。


ま、現実的にバレないはずが100パーないので、

その後は、僕と次女は並んで脱衣場に立たされて、

こんこんと妻に説教されるって流れになるわけだけれども。あはは。


まあ、そのうち嫌でも便所でする。

てか、お布団で放尿出来るなんて、今しかねーぞ。

どうぞ悔いを残さぬよう、お漏らしになってね。

気ながに、ほっとくから。




ちなみに長女は、ほとんどおねしょをしなかった。

おむつが外れてから、僕が憶えているかぎり三回ぐらいだったと思う。

はじめてのおねしょで、

ああ、おねしょとは、なんと気持ち悪き所業だ。

と幼児ながら悟ったらしく、以後なきように自己を管理した。

親の目から見ても、当時の長女は、三・四歳ながら、

私は絶対おねしょなんぞせぬ!という揺るぎない自信に満ちていた。


思い出すのは、そんな長女が三度目のおねしょをした時のことだ。

ある朝目を覚ますと、窓から射すいっぱいの朝の光の中で、

長女が自分のパンツをめくり、それを無言で凝視していた。

パンツの股についた小さなシミを見つめながら、

幼児が眉間にしわを寄せ、しきりに首をひねっているのである。

少しだけ、漏らしたみたい。

お~い、どうした?

と、僕が優しく声をかけると、長女は実に怪訝そうにこう言ったのだ。


・・・不思議。

・・・ほら、汗。

ここ、ピンポイントで汗かいた。


君に問う!

どう答える!

正解が分らん!


いやはや、浮世の人間模様は十人十色、

子供のおねしょ模様も、十人十色なのだね。



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最終更新日  2020.11.01 05:28:42
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