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家曜日~うちようび~

2020.11.23
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「善悪判断」 = モノゴトを善し悪しで判断する行動原理。

「損得勘定」 = モノゴトを損か得かで勘定する行動原理。


突然ですが、あなたはどちらのタイプですか?

例えば「道端で女性が暴漢に絡まれている」という場面に遭遇したとする。

あなたが善悪判断の人であれば、
「弱きを守り、悪を成敗する」という行動原理に則り、
身の危険を顧みず仲裁に入るのかもしれない。

あなたが損得勘定の人であれば、
「厄介な事件に関わるのは損だ」「仲裁に入りケガでもしたら大損だ」という行動原理に則り、
見て見ぬフリをして、その場を通り過ぎるのかもしれない。

この場合、どうしても善悪判断の行動が「美談」とされ、
損得勘定の行動は、人として「汚し」とまでは言わずとも、
まあ「美しからず」という印象は、確かに残っちゃいますね。

世間的にも、モノゴトは損得勘定ではなく善悪判断で考えるべきという風潮は強いし、
まあ、それが大前提の僕らの道徳心だし、だから世の中、御覧の通り安泰なんだけれども。

・・・ま、あくまで表向きはね。




でもやっぱ、僕なんかはね。
そんな表面的な薄っぺらな「善悪判断至上主義」については、
いささか、首を傾げるところがあったりしますね。

僕が危惧の念を抱くのは、一部の善悪判断の人が持っている「狂気」のようなものでね。
例えば先ほどの「道端で女性が暴漢に絡まれている」という場面においても、
弱き者を守る為なら、悪を懲らしめる為なら、相手の出方次第で暴力を辞さない。手加減しない。
その結果、暴漢を気絶させようが、病院送りになるほどのケガを負わせようが、
正当防衛という大義名分のもと「自分は正しいことをした」と堂々と言い切れる。
・・・というような性分が、少なからず、ある。

「最愛の人が突然倒れた、自分が急ぎ病院へ車で搬送しなければならない」という場面において、
それでも損得勘定の人であれば「道路交通法」を尊守し、安全運転をするであろうが、
善悪判断の人であれば「今は緊急事態、今は人命第一、私の判断は間違っていない」といって、
猛スピードで一方通行を逆走して行くのかもしれない。
・・・という怖さが、少なからず、あるのです。

更に言えば「自分は正しい」という揺ぎ無き理念に基づく者同士が対峙し、争いを始めると、
その争いは、必ず残酷を極め、必ず長期化する。
お互いが「たまにゃあ自らの理念を疑ってみる」という、ごく単純なコトが出来ないからだ。
だから歴史的に見ても、宗教戦争や思想戦争は、総じて惨い。そして終わりがない。
・・・ちなみに、僕は自分がそうなるのが怖いので、
特定の宗教に入信しないし、特定の政治運動にも参加しない。

そう、これまで善悪判断の人を随分と辛口に批評したのは、
他でもない僕が、そもそも善悪判断の行動原理に、強く基づく人間だからです。
僕、正直言って、自分の子供がイジメを受けたクラスに金属バット持って乗り込む親の気持とか、
ばりばり理解出来ちゃうタイプです。マジ時代劇の「成敗」とか「天誅」とか大好きっす。
だからこうやって、常日頃から自らに潜む「狂気」と向き合い、警戒しているわけっす。とほほ。




やっぱりね、自分が善だと信じて疑わない理念であれば尚更、
先ずは堂々と「損得」のフィルターに通してみるべきかと、最近は思います。
それが原色の善であれば、色濃いままだし。
損得フィルターで色褪せてしまうような善であれば、もともとその程度の善かと。
おのれの善行が、法に触れたり、会社を大損させたり、罰金やペナルティを受けるものであったり、
家庭を崩壊させるとか、とにかく自他共に誰一人得をしない行為であるならば、
やっぱりその善行の何かがきっと壊れているのだと、
そう思えるまでには、わたくし大人になりましたあ。ははは。

勇気を持って、もっと突き詰めていけば、
結局のところ、善は悪の対ではなく、損は得の対でもなく、善悪は損得の対でもない。
善、悪、損、得、これらは、実は横並び。四択のフェアな判断基準ではないかと。

例えば「病院の前で、おばあさんがタクシーを拾えずに困っている」という場面があって、
僕が「近くの駅までなら」と、おばあさんをオンブして送り届けたとする。
これは、僕にとっては、ばりばり「善意」に基づく行動なのだが、
ついさっき「運動不足解消のため、なるべく歩いてね」とおばあさんに忠告した病院の先生からしたら、
僕の善意は「悪」だったのかもしれない。
そもそも、おばあさんにとって僕の善意は、ただタクシー代を「得」しただけ、それだけのことだったのかもしれない。
並びに、その時ちょうど近くを通ったタクシーに、僕の善意は「損」をさせてしまったのかもしれない。

つまり、モノゴトはいつだって、善、悪、損、得が複雑に絡み合う難問であって、
そして答えは、必ずしも一つではない。
僕にとっての善が、時に誰かにとっての悪であったり、損であったり、得であったりするのだ。

だから、モノゴトを判断する時は、

目先の損得に惑わされてはいけないが、

同時に、目先の善悪にも惑わされてもいけない。

それを肝に銘じるべきかと。


とどのつまりはシンプルに、

僕は、善、悪、損、得、が、

フェアに判断できる人でありたいのである。



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最終更新日  2020.11.24 09:49:07
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