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カテゴリ:身辺雑記
5月6日は母の命日。あっという間に2年がすぎた。
この時期になると、母の造った庭が花盛りになる。ほとんど手入れをしなくていい多年草と花の咲く低木が多く、しかも春から秋までいつも咲いている花があるように考えて植えられている。母が生きている間はまったく気がつかなかったが、自分が死んだあとのことを考えて植えたのだろうと思う。産んで育ててくれて、死んだあとも見守ってくれる。そう思って見ると、まるで母の命がそれらの花に宿っているようで、神々しく感じられる。 家も古くなったし、いっそのこと売ってどこかに引っ越そうかとも思っているが、母の造り給いし庭を見ると、この庭をつぶすのは母をもう一度死なすことのような気がしてくる。 遺品は少しずつ整理したが、ネガフィルムは半分ほど整理したところでどうしても続けられなくなった。身につけていたもの、靴や服はそのままで、母が最後に家を出た日のままにしている。処分しろと言われていた絵もそのままだ。 大正生まれで岩手の寒村で育った母は何につけ質素だった。どうしても必要なもの以外は買わず、着物すら持っていなかった。参観日には母をすぐ見つけられた。母だけ洋服だったからだ。昭和30年代でさえみな着物だったが、着物を買う余裕のない母親は参観日には来なかったのだろう。しかし母はそんなことには無頓着で、それは、あの時代にはかなり特殊なことだったと思う。 映画や音楽会に行かせるのも大変。金券ショップで招待券を買い、もらったものだと言って渡すなど工夫した。タクシーも同様で、タクシーチケットを買って、もらったものだし有効期限があるからとウソをついて使わせる必要があった。 母は定年間近まで働いていたので、手の込んだ料理を作ることはなかった。働く女性が少なかった時代、専業主婦の母親が作るお弁当と母が作ってくれるそれは、まるで別物だった。細やかに作りこんだ友だちの弁当をうらやましく思う反面、質より量という感じの母のお弁当を誇らしく思うこともあった。あるとき、小倉千加子がエッセイでまったく同じことを書いていたのを読んで驚いた。 かなりの読書家だった母は、しかし自分の本はほとんど持っていなかった。国語辞典、熟語辞典などを除けば、堀田善衛の「インドで考えたこと」と何冊かの画集、あわせて10冊もない。アクセサリーや化粧品なども全部でクッキーの箱ひとつ分しかない。武満徹の「死んだ男の残したものは」をきくと、庭と、何枚かの絵と、出来の悪い息子ひとりと、ものすごくできの悪い息子もうひとりしかのこさなかった母のことが歌われているような気がしてならない。 レナード・バーンスタインのミュージカル「キャンディード」は「庭を造ろう」という合唱で終わる。もちろん、そこでは庭は象徴的な意味で使われている。 しかし大事なのはこのことなのだ。Make Our Garden Grow・・・われわれの庭を作り育てること、それが人生の意味だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 7, 2008 09:44:56 AM
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