【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

投資の余白に。。。

投資の余白に。。。

February 2, 2010
XML
カテゴリ:身辺雑記
ほかの地域とちがい、北海道では新聞に無料で死亡記事が載る。ふだん読まない新聞を歯科の待ち時間に広げたところ、いきなり知人の名前が目に飛び込んできた。

2年前、会社も家も近くに越してきたので一度飲もう。電話でそんな話をしたのが最後になってしまった。

1月29日に定山渓温泉で会社の新年会があったらしい。30日の朝、温泉に入って心筋梗塞を起こしたという。

同じような状況で死んだ人の話をときどき聞くが、まだ酔いが残っているうちにお湯に入るのがいかに危険かということだ。

朝起きたら社長が死んでいた。発見者も驚いたろうが、社員たちの驚きは想像を絶する。

60歳の早すぎる死。元々頑健なタイプで徹夜は平気だった。39度台の熱でも「たいしたことがない」と写植機に向かっていた光景を思い出すが、そういう人ほど突然死することが多いような気がする。

孤児だった知人は中学には行かず、印刷屋で働き、独立。1987年に知り合ったころは掘っ立て小屋のようなプレハブの1階を工場、2階を事務所にしたアルバイトが一人だけの家族企業だった。

バブル期の放漫経営がたたって倒産したが、担保に入っていた高価な機械を秘密裡に運び出し、別の場所で社名を変えて再出発したのが2000年。それから10年、裏表のない素朴な人柄のためか顧客も戻り、最近は地域の情報誌も出したりして事業は順調のようだった。

薬局でもらう、薬が入っている袋を薬袋という。この薬袋を印刷している会社は日本に2社しかないがそのうちの1社、といえば業界の人にはわかるかもしれない。日本人の二人に一人は、彼の会社で印刷した薬袋を手にしたことがあるはずだ。

出会ったのは偶然だった。適当な印刷所を探して、ピアノ調律師の知人から教えてもらったつもりで行ったのが彼の会社だった。紹介されたのは別の会社だったのだが、住所をかんちがいして、この会社に行ったのだった。

話してみると、同郷というか、同じ土地に住んでいたことがわかった。それでこちらに興味を示してくれたのもあるが、妙にウマが合うのを感じた。世代も、育った環境もまったくちがうのに、しかも口べたで言葉足らずなのに言いたいことはよくわかる。そんな不思議な経験をした。

言葉そのものは通じるのに気持ちが通じない。そういうことの方が多いものだが、この人は逆だった。

印刷代をタダにしてもらうかわりに、この会社の営業をすることにした。印刷の見積もりというのは複雑ですぐにはできない。そこで、自分が使っている印刷屋はいい、大手の下請けをやっているので直接取引だとすぐ2割引になる。そういうトークをして歩いたところ、面白いように仕事をとることができたのである。

当の会社の人間がいくらアタマを下げてもダメなのだ。うわさとか口コミの方が真実味がある、そういう心理をついた作戦だったが大成功した。

売上も従業員も増えたので手狭になり、思い切って会社兼自宅を新築し高性能の機械を入れた。さらに工場も拡大した。しかしそこが景気のピークで、有力な顧客の倒産で資金ショート。よくある話だが、自分の目の前でそれが起こるという稀有な体験をした。

あのときのかんちがいがなかったら知り合うこともなく、知り合わなかったらまったく別の人生、それもかなりつまらない人生を送ることになってしまったと思うと感慨深いものがある。

わたしも株主で取締役でもあったこの会社が倒産したのは、ネットバブルで大儲けしていたころ。彼はそれを知っていたが、人をうらやましがったり、比べて自分の身を嘆くこともなかった。すべて自分が招いた責任と潔かった。経営者には楽天家という資質が必要だと思ったことだった。

残念なのは、会社の金庫にまだ余裕があるうちに「倒産→夜逃げ」を説得できなかったことだ。

数千万の金がムダに金融機関への返済にまわってしまった。

倒産したころ、私生活にも重大な変化があった。近所の人妻と大恋愛をして、家を出て彼女と暮らすようになったのだ。彼女も夫を捨てた。いったい、どこの世界に倒産し借金まみれの50男についていく女がいるだろうか。あんな純愛は映画でも見たことがない、というくらい強く激しく愛し合っていた。

葬儀は法律上の妻が執り行い、彼女は参列もできなかったらしい。「ただいなくなったの。本人も何で死んだかわからなかったと思う」と言って笑ったが、あまりのショックに躁状態になっていると感じた。

わたしが学歴で人を判断するようになったのは、この知人=人生の大恩人と出会ってからだ。いちばん学歴がなく極貧の子ども時代を送った人が、わたしの知る限りでは最も人情に厚かった。能書きは言うくせに自分の手を汚さない人間の割合は、偏差値の高い大学ほど増える。だから学歴がないほど優れた人間にちがいないとどうしても思うようになってしまった。

こんなこともあった。ある孤児院が移転することになったが、予定地の住民から反対運動が起きた。そこで、知人を含む地域の人たちが逆に誘致運動を行って成功した。縁があってその孤児院の行事などに関わったが、それは貴重な体験だった。昭和30年代のような、屈託なく人なつっこい、子どもらしい子どもがたくさんいたのである。普通の子どもがいかに異常かがわかった特異な体験だったが、週に一度かもっと少ない親との再会の光景は忘れられない。

孤児院の隣には某医科大学が所有する広大なグランドがあり、ふだんはまったく使用していないのにただの一日も貸してくれない。

そんなことだから人間性の乏しい医者ばかりになるのだ。

彼は、やはり孤児のような育ち方をした国会議員の後援会に入っていた。大臣までつとめたその議員を囲む集いに何度か行ったが、支持者の多くは中小零細の自営業者で、ほとんど底辺の人たちだった。食事はみな手作りの持ち寄りで、お世辞にもおいしいと思えるものはなかったが、その味は心にしみた。

労働貴族の巣窟である社会党の、鮨の出前が並ぶ宴会との「格差」には驚いたものである。

そんな彼も、去年の選挙では自民党に見切りをつけ民主党に投票したと思う。

そんなことをあれこれ話したかったものだ。

知人はデジタル化以前は自分で写植を打っていた。どんな難しい漢字でも、読めない字でも、裏返しに書くことができるという特技を持っていた。それでいて、アルファベットはまったく読めないのだからおもしろいと思った。

会社は名目上の社長になっていた彼女が引き継ぐことになった。名実共に社長になったわけだが、せめてもの恩返しに、何かできることがあれば手伝おうと思っている。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  February 4, 2010 10:53:27 AM
コメント(0) | コメントを書く
[身辺雑記] カテゴリの最新記事


PR

プロフィール

ペスカトーレ7

ペスカトーレ7

カテゴリ

バックナンバー

June , 2024
May , 2024
April , 2024

お気に入りブログ

ニュー試「ハーバー… alterd1953さん

不動産 夢の実現の… やっさんブログさん
減らないお財布を持… toms2121さん
www9945の公開プロフ… kitakujinさん
やまさんの投資日記b… やまさん12y3さん

© Rakuten Group, Inc.