行動の自律こそカギとなる 1・6
前回みたように、集権的な経済体制のもとでの労働や生活のような行動は、その主体の意思にかかわらずに、地球の生態系の絶滅にみちを拓いてしまうのでした。そこでの行動主体は、集権的な指令的な行動体の指示や指令に従ってしまうという意味で従属的な他律的な行動を余儀なくされているのです。これが地球の生命系に悲劇的結末を招来せしめるのでありますが、そうでかぎり個々人には、それと対極にある行動様式がとられねばならないはずです。つまり、それこそ自律的な自主的な行動にほかなりません。自分の行動を自分の意思と責任のもとにおくようなふるまいです。実際には、ヒトの生活や労働は、高度な分業により成立していますので、自律といいましてもおのずから制約や限界が生じるはずでしょう。しかしながら、要は、分業の範囲がみずからの影響力のおよぶ範囲にとどまっていることにあるのです。現実には、それと真逆に、はるか離れた外国で大量に安価に採掘され生産された資源や製品を大量に輸送して、大量に加工して、大量に販売するやり方がまかりとおっております。ここにこそ、地球の生命系の崩壊が音を立てて着実に進行している現場にほかなりません。その様式は決して許されてはいけません。もしも分業の範囲が身の丈にそくしているのであれば、かりにそれが危機的な兆候をもたらせたとしますと、それの生産―加工―販売に対して、個のレベルで異議申し立てをおこなって、それの是正をはかることが可能になるでしょう。この点こそが求められる社会経済的な特性にほかなりません。現実にも、たとえば地産地消といわれる生産―流通―消費の地域的な経済システムが知られており、みじかに機能しております。この方式をあらゆる産業領域に、世界中のさまざまな国々に、国内の全国各地に及ぼしていけばいいのです。できないなどと云うおろかな言辞をききたくないですね。この領域にこそ、科学技術がしっかりと機能させねばならないのです。ここにおける科学技術は、他律的に身の丈に合ったありようとして成立するでしょう。集権社会におけるそれとは、まったく異質な姿をもってです。地球の生命系への脅威は激減するはずです。それでも皆無になることはないでしょうが…。なにはともあれ、その取り組みの開始が急がれます…。