ニッポン 民主主義? 2・29
ニッポンが民主主義国家なのかを問う記事に目が留まりましたですね…。記事 日本が「”自称”民主義国家」なのがよくわかる 参照上の記事では、その執筆者はK.ポパーの「反証可能性」なる概念を介して、その主題の解明に向かっています。かれによりますと、”現代のニッポンでは、団結を重んじ、満場一致の拍手喝采で終わる会合ばかり”であって、これでは”全体主義“ではあっても、“民主主義とはいえない”と断じています。さて、”反証可能性”ですが、これは、“科学論”の決定的な柱の概念ではあるのですが、民主主義論に引っぱりだす論理展開には、はじめてお目にかかりましたですね。少々、強引すぎるように感じるのですが、どうでしょうか?確かに、ニッポンは、現実に全体主義的ではありますね。“異端を排する傾向”がいまでも強いですし…。または、これを”同調圧力”と云ってもよろしい…。また、これを異分子の存在を不安視する心理と云い直してもいいのかも…。ヤツガレは、この問題を本ブログにおいて、今月はじめに、”自由と自律”の主題のもとで取り上げたのでしたが、この観点からいたしますと、政治への参加において“自由で民主”になったのですが、個人の行動は“他者への依存心”が強く“非自律”が支配的となっている。ここにこそ、ニッポン社会の“疑似民主性”の根源があるといわねばなりません。そうであり続ける限り、ニッポンが、いつ全体主義的な“愚かな行動”にはしるのではないかという懸念は消えないでしょう。あるグループの排外的動きを個々人が自律的に阻止できないのですから…。これをしっかり克服せねば…。