走る実験室(スピリット201Cホンダ)
今年は久々のレギュレーション大幅変更で、レッドブルの天下に下剋上が起きそうな気配だが、しかして、新技術でもないターボエンジンがボカスカ壊れるのは一体どうしたことだろか?しかも、プライベータ-がターボを後付けしてんのとはわけが違う、B級とはいえちゃんとしたカーメーカーが威信をかけてやってんのに、だ。これじゃあF1を「走る広告塔」として利用する意味がない、走るたびに壊れるんじゃむしろ逆効果だ。まあ、レッドブルが4連覇しても、そのエンジンがルノーだって知ってる欧州人は殊の外少ないらしいから、今年もしタイトル逃したら(その公算大)来年は完全撤退してたりして(笑)レーヴコレクション(スパーク)1/43 スピリット201Cホンダ "1983ヨーロッパGP 14位"#40 ステファン・ヨハンソン 現代のように有限要素法などに代表される構造解析が発達する以前、レーシングカーは新機軸を搭載し、レースでブン回して壊すこと(時には人命も)によってその限界を知り、市販車へデチューンする形でフィードバックする役目も担っていた。F1マシンが「走る実験室」と言われる所以だ。巨額のスポンサーマネーが蠢き即結果が求められる現代とは違い、ひとつの技術を追い求めて何シーズンも棒に振る(挙句にものに出来ない)なんてなハナシはよくあることだった。ルノーのターボ技術しかり、ロータスのアクティブサスしかり、枚挙にいとまがない。 12気筒エンジンによる第一期活動から16年のブランクを経て復帰したホンダは、フルコンストラクターとしてではなくエンジンサプライヤーとしての道を選んだ。既存のF2シャシーにV6ターボエンジンを乗っけてマシンをでっち上げ、何でもいいからとにかく実戦を走っちまおうとゆーおよそ蛮勇に近い作戦だ。スポンサーを募って資金を確保し、周辺企業をも巻き込んで各所人員を手配して。。。といった手順を踏んだ上に成立する現代F1活動とはえらい違い、今の時代そんなシロートやっつけ仕事的なフォーマットじゃ参戦許可が下りねえだろう。 兎にも角にも急造したスピリット201Cホンダは、その出自から純F1マシンじゃなくいわばF1.5くらいのレベルだったが、はなから入賞とかゆー結果を期待されたもんじゃなく、あくまでデータ取りのためのベースでしかなかった。当然、当時の一線級のマシンとは速度も耐久性も比較にならず、ただエンジンの出力は期待以上の結果であって、それがわかればそれでよかったわけで、翌年にはもっと競争力のあるシャシー(ウィリアムズ)にさっさと鞍替えされて、スピリットチームの活動は(ホンダからすれば)その役目を終えたわけだ。チーム側からすりゃあたまったもんじゃないが、別に契約終了を巡って法廷闘争に発展するわけじゃなく、まあいい意味でのアマチュア精神がまだ生き残ってたそんな時代だったのだ。 ダウンフォースが欲しいからウィング2枚つけちゃえ!的なやっつけ感が駄馬好きのツボの押しまくりの201C。そんなコンセプトじゃ速いわきゃねーわな(^^)