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テーマ:暮らしを楽しむ(384592)
カテゴリ:幸せになる「勇気」
48歳を、捨てよう。
今日は、わたしにとって、「48歳」最後の日。 ![]() クロワッサン・パトロール。クロワッサンだけで4種類もあるパン屋さんへ出かけました。 **************************************** ものを一気に捨てたときのわたしの話を、今日は少しだけ聞いてくださいますか? 片付け、とか、暮らしを整える、とかそういう次元じゃなくて。 「自分ごと消えちゃいたい気持ち」で、わたしは捨てていました。 ![]() 何もかも嫌になってしまうような瞬間って、 一生懸命生きていたなら、誰しも。 どなたさまの人生の中にも、1度や2度 おありだと思います。 自分ごと消えてしまいたいような気持ちで、そのつもりで何もかも捨ててしまったのに、 自分は消えないし、人生は、まだまだ、ちゃんと続いていた。 残酷なほどに。 ここからどうやって生きるのかを、どうやり直すのかを、 空っぽの部屋から、冷たく・・・ そして「本気」で、突きつけられた気がした。 ![]() 「クロワッサン・プレッツェル」に出会えた! バルミューダが、連日の大活躍です ( ´▽`)ノ ******************************************* 空っぽの部屋。 空っぽになった自分。 あの夏の日から。 生き方を、持ち方を、考え方を、ひとつひとつ選び直して、いまがある。 もう間違えないように。 もうあんな思いをしなくていいように、気をつけながら、 それでもやっぱりまだ失敗したり、間違えたりしながら、「いま」の わたしが あります。 ![]() 48歳最後の日。 小学校生活最後の運動会、とか言われると、特別な気持ちになったことを覚えているけれど、 3年生や4年生の運動会が、じゃあそれよりも価値が薄いのかと言ったら、そんなことない。 最後じゃないなら、次があるなら、来年もまだあるなら手を抜いていい、というのは違う。 どの時も、どの日も、どの瞬間も、本当は いつも「最後」で。 同じ瞬間など二度となくて、いつも同じように大切で。 かけがえがなくて。 これが最後だと思うと、人って「特別に」心を込めることができたりしますけれど、 それじゃ、命が、時間が、もったいないですね。 毎日が、最後だと思って生きる。 ほらまた大袈裟な、と せせら笑われてしまいそうですが、 ものを一気に捨てた、自分も消えてしまいたい気持ちで捨てた、2015年のあの夏の日から。 そういう気持ちで生きることを、わたしは、心がけています。 (できない日もあるけれど) ものを捨てて人生が変わるなんて。 信じられないけれど、本当に、そうだったんだよ。 人生観が、変わった。 ![]() 捨てることは。 何もかも捨てて、自分をも「空っぽ」に無くしてしまうのではなくて。 嫌な自分(だけ)を、無くす。 自我まみれで思いやりのない、嫌な自分は無くす。 そのあとに、キラキラ残っていた自分の良心や、自分の良いところは 大切に大切に守る。 自分の中に持っている (とっても 少ない・笑) 良いところを・・・ 大切に、守る。 「少ないものを大切にすること」と「人生」は全く同じだ、と、知ったのです。 48歳までの自分の中の、「嫌な自分」は ちゃんと、今日、捨てて。 大切なものだけを 抱きしめて。 自分の中の「嫌なところ」「余計なもの」は 潔く手放して。 自分の中の「良いところ」は 失うことのないよう、大切に、大切に。 明日から。「49歳」を、始めよう。 また、1歩、1歩、 歩き出そう。 おわり 消しちゃった昨日のブログ。 読んでくださった読者さま、ありがとう。 ↓ たくさんポチッとありがとう。 思いを伝えさせてくださって、本当にありがとう。 にほんブログ村 後悔するのでは、と、本当は、とても怖かったのです。 けれど、書いてよかった。 この場所のおかげ。 優しい読者さまのいてくださったおかげです。 本当に、ありがとうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.02.11 15:33:08
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