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テーマ:オシャレ大好き(191059)
カテゴリ:靴のおはなし
ボツになる画像、というのがあります。
ブロガーさんのスマホには、 ブログに載せられなかった「ボツ画像」のようなものが、 ほんの少し? または たくさん? 残されていたりすることが きっとおありなのではないでしょうか ( ´▽`) そういうのは、捨て!捨て! 即・削除!! と、 撮ったあとの画像を確認し、 「ボツ」にすることを決めたなら、 その日のうちに、 さくさく消去するのがわたしなのですが、 ちょっとこれは、今回の撮影のこれは、 めずらしいタイプの「ボツ」でした。 撮りながらにして、ああ、もうこれはボツだな。 記事にはできないな、と思いながら、 それなのに、何枚も、これでもか!と たくさん撮ったのです。 わわー ヽ(;▽;)ノ ************************************* おボツ画像の、おボツたる所以。 せっかくだから、 ボツのボツたらしめた所以を語る日記をしたためてから、 この画像を消そうかな。 そう思いながら撮りました。 写真を撮りながら、 すでに脳内では半分以上の文章が出来上がっているのが、 わたしのブログの、いつもの書き方です。 *************************************** さて。 なぜ、「ボツ」なのか。 靴が、もうダメだと気付いたから。 です。 明るい方に置いてみても、 左の端っこで見切れるように存在を弱めてみても、 どう撮っても、 もう、この靴は、キレイには撮れない。 撮れなかったのです。 (;_;) *************************************** この靴は大好きですし、 履いている分にはまだ大丈夫な気がするのですが、 写真に撮ると、 もう、被写体にはならないです。 まだ履きますけどね ( ´▽`) もう靴なしで撮ろうとした写真。そうなったことの経緯をブログに書き残そう、と思いつつ。 *************************************** もしも発信をしていなかったら、 自分の持ち物や履物を、 わたしは日々、ここまで観察していたでしょうか。 観察した上で、 さらに「客観視」することができたでしょうか。 そういう発見があるのも、実は、ブログを続けることの良さです。 客観視、たいせつ! (`・ω・´) 「3枚のニットとパンツ」というテーマの置き画を撮るつもりだったのにー。靴で、挫けた。 ************************************** 着画を撮ったとき。 しゃんと姿勢良く立っているつもりなのに、 よぼよぼ〜っとよろめいているようにしか見えない己の姿に、 「こ、こんなはずでは・・・」と、 幾度がっくりしてきたか、わからないです(笑) わたしたちは 物事や、自分自身のことを。 無自覚のうちに、 自分の思いたいように、 都合の良いように捉えていたいところありますね。 ************************************* たとえば、です。 この靴を「まだキレイだよ、大丈夫」と言ってくれる人は「良い人」で、 「もうそろそろダメなんじゃない?」「汚いわ!」などと言われれば、 その人のことは「悪い人」「意地悪な人」で、 それこそ「敵!」と感じてしまいそうなのですけれど、 本当に、そうなのかな。 考えが違う、意見が対立した、 望んでいた言葉や感想と異なる、というとき、 いじけたり、怒ったり、ときに恨んだり(笑) その人そのものを否定的に見てしまうような過ちを、 わたしたちは ついつい犯しがちです。
正しい判断や、公平なものの見方をしようとするとき、 本当に必要なのは、 優しいことばかり言ってくれる仲良しさんよりも、むしろ。 「気が合わない人」「意見の合わない人」 「厳しいことを言ってくれる人」の方、なのかもしれません。 厳しいだけの人は めっちゃ嫌ですけれど、 それが 愛からの指摘なのか、 または 怖れや焦りや意地悪からの批判なのか。 わたしのことを思って言ってくれているものなのか、 ご自分のエゴ(怒りや苛立ち、マウントや保身)から仰っているものなのか、は。 丁寧に向き合ってみれば、 言葉のひとつひとつを注意深くうかがっていれば、 それは、すぐにわかります。 ブログは、いつも。 自分にとっての客観的なものさしになり得ます。 自分のスマホのフォルダ内で、 個人的に写真を楽しむ時には気づけないのに、 公開すること、 公開を前提とすることで初めて「客観の目」になれることの不思議。 「自分の基準 = 世の中の基準」ではない、という、 当たり前のことなのに、つい忘れそうになる・・・ 大切なそこに 立ち返ることができるのです。 ************************************* ということで、この靴の画像は「ボツ」!! これは 自分で気づくのが、やはり一番いいですね ( ´▽`) そこを誰かに言わせてしまって、 その人嫌ったりを憎まれ者にしてしまうとすれば、 元々はわたしのせいなのに、あまりにも身勝手だ。 **************************************** この靴の画像を撮って感じたのは、「静物」としての限界です。 けれど、 服を合わせ、履いて、歩いて、走って。 そこに人体のエネルギーが吹き込まれたとき、 単なる「静物」でなく「靴」としての、 「その人の靴」としての限界というのは人それぞれで、 また別のところにあるのでしょう。 先端が削れてしまったり、 靴底に穴が開いて小石や水が入ってきたり、 ヒールなら、ヒールが折れたりもげたり、 フラットシューズなら、靴底が剥がれてどっかに紛失してきたり(笑) 靴としての機能を成さなくなったとき。 そうなった時こそが、 「人間が履く靴としての限界」なのだろうと思います。 新しかったときの画像を、ちゃんと残してあります。 どれだけ古くなったのかを、自分で冷静に知るために。 新しい頃は、こんなに美しかったのですね。 今は、箔もはがれ、光沢が失われ、型も崩れてきてしまった。 物体としての美は、もう、一抹もない。 置き画を飾ることは、もうできない。 まだ 履くのだが、な。 笑 ************************************** TRADITIONAL WEATHERWEAR の、 このコートに合わせて・・・ パンツなら、足の甲をチラッと見せて、 ワンピースやスカートなら、 タイツやソックス合わせて履くのが、この秋冬の、わたしの楽しみなのです。 どこへも行けない2回目? いや3回目の秋冬の、 ささやかな、ささやかな、お楽しみ。 コロナ禍の閉塞感に、 つい俯いてしょげそうになる気持ちを、 つま先を見下ろすたび、 目が合うたび、励ましてくれたのがこの靴です。 この冬いっぱい、 底が剥がれないように大切に履いて、 つま先が削れないように気をつけて歩いて、 車止めに蹴躓いたり お得意の「何にもないところでコケそうになる」にも注意して、 1回でも多く、1歩でも多く、 この靴で歩いた思い出を 作れたらいいな ( ´▽`) おわり 今日もお読みくださって ありがとう。 ↓ いつもポチッとしてくださるお気持ちを、ありがとう。 にほんブログ村 「愛用」すると、長持ちする時と、こてんぱんになる時とがありますね。 どちらも「ものを大切にする」「充分に生かす」ことをした結果、なのだと思います ( ´▽`) フォローをしてくださっている1290名ものみなさま・・・ 更新を楽しみに待っていて下さることが、とてもうれしいです。ありがとう。 *** 走る! すずひのスーパーセール! *** ↓ お得な今! この冬のパジャマも買っておく! (`・ω・´) : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.09.09 20:13:16
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