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テーマ:暮らしを楽しむ(384439)
カテゴリ:幸せになる「勇気」
心に掲げる「理想のわたし像」のようなものがあったとしても。
なかなか思うようにはできない自分を 人生の中で、 わたしたちは何度も何度も目の当たりにしますね。 たとえば「親切」や「優しさ」だって。 好きな人に対して優しく親切にするのは 何の苦労もいらない、 自然にできることだけれど、 どうしても合わないあの人や、 さんざん嫌な思いばかりさせられてきた人にも、 優しい気持ちで接することができますか、となると、 その「親切」や「優しさ」が 途端に、胃をえぐられるような苦しいものになることもある。 ああ、それが人間、ね ( ;∀;) ****************************** わたしが今、手放したいもの。 もういい加減手放したいと思っているもの。 それは「察しすぎる力」。 無駄に過剰に察して(疲れ果てて)しまうチカラ ( ;∀;) この能力?って、 これまでの古い時代を生きてくる上では ある意味「長所」ともなったり 人として必須スペックであったのかもしれないけれど なんかもう、これからは、ちょっと違うような気がする。 むしろ人生の「足枷」や「お荷物」になるような気が。 こちらにとっても(察しすぎて疲弊してしまう) お相手にとっても(察してもらえることに慣れて子ども化してしまう) ね、どちらのためにもならない、この悪循環。 これからは。 新しい時代は。 もっと「love & peace」で生きてゆきたいものです ( ´▽`) 察してちゃんは、かまってちゃん。 「近づいてくるわよ」 Σ(゚д゚lll) それは怖いわよ。 そして超イヤだわよ (((;_;))) けれど、これって、あああ、本当にその通りね (;▽;) 察する力を鍛えすぎて、 かまってちゃんが続々と近づいてきちゃうのもしんどいことですが、 察してしまう側の感じるツラさのいちばんって、多分、 「察さない人」にいつも振り回される、 心を乱される、というところです。 察さない人や無神経な人が悪い、と申し上げたいのではなく、 この世には「真逆の位置の人」がやはりいて、 両者が互いの感覚や価値観を理解し合おうとしても、 それはそうそう容易いことではない、ということ。 だって、逆も逆。 「真逆」なんですもの(笑) 察する力って、おそらく。 察することのできるもの同士である場合に限って功を奏するのです。 「互いへの思いやり」という美しいバランスが成立する。 そうでない場合は、ただただ片方だけが疲れてしまう。 あまりにも、フェアじゃない。 そこに love も peace も あるもんですか。 そういう時は。 明らかにアンフェアだ! と 心の波立ちを感じた時は。 もう、「察する力」は。 発揮しなくていいのだと思います。 意識して放棄すればいいのだと思います。 レーズンバターサンドをこよなく愛するわたくしが、これを素通りできるはずもなく。 ハーゲンダッツ クラシック洋菓子「レーズンバターサンド」 ( ´▽`) ******************************* どうしてこういうことを学校では教えてくれないんでしょうね。 みんなと仲良く!とか。 誰にでも優しくしろ!とか。 現実味に欠いた、 個々の感受性を完全無視した、 そういう無理やりの、 上辺だけの「和やかさ」を保つやり方は・・・ たくさんたくさん強制された気がするのに。 人の気持ちを考えろ! とはよく言われたけれど 「自分の気持ちを大切にしろ!」 そう本気で叱ってくれた大人は、周りには・・・ 少なくともわたしの周りには・・・いなかった。
雰囲気や呼吸から、動作や気配から、 他者の気分の微妙な変化にいち早く気づき、 自分のことのように気になってしまったり、 「(気づいた)わたしがなんとかしなければ!」と ものすごく焦ってしまう。 あなたには、そういうところがあったりしませんか? 察さないのは、悪いこと。 察さないのは、不親切なこと。 察さないことに対しなぜか罪悪感を感じてしまうせいで、 その罪悪感を利用して、 察する人は察さない人から、便利に使われてしまうことも。 わたしのリピートしてしまう「レーズンサンド」2選。 どちらも大好き ( ´▽`) 出来が悪い、とか、繊細すぎて扱いにくい、とか、 誰かから植え付けられた罪悪感を信じ込んで、 また、新たに自分でせっせと創造したりして、 重い荷物や要らない荷物を、 わざわざ自ら進んで背負いにいってしまうようなところが わたしにはありました。 そういうのって 背負う必要なんて全くないし、 もういい加減手放してもいいと、 遠くに放り投げていいと思うのですけれど・・・ いかがでしょう ヽ(;▽;)ノ ここまで充分に、もう、精一杯やってきたのなら。 こっちももちろん買ってきました。いちごとカスタードのナポレオンパイ ( ´▽`) ******************************** 「察しすぎる力」と「罪悪感」。 見えない重いリュックを、心の荷物を放り投げてしまうことができたなら、 どんなに身軽になれて、 どんなに わたしらしく、 そして どんなにあなたらしく生きられることでしょう。 すずひと、ぜひ、今日から。 今からご一緒に。 「察してしまう」の手放し、いかがですか ( ´▽`)? この人はいつも察してくれるから、とか この人ならきっと察してくれる、とか 言いなりになってくれる、わかってくれる、という、 相手の身勝手な期待なんて・・・ さあ、勇気を出して、裏切ってしまおう! 注)まっすぐ持って開けないと、パイがそこら中に飛び散る地獄絵図となります。 ←やった人 *********************************** たとえ相手がいつもと違うあなたに。 言いなりや思い通りにならないあなたに戸惑って、 不機嫌になって見せたりして うまいこと脅したり、 しつこくしつこく揺さぶってきても、 どうか怯んだり、怖がらないで。
覚悟を持って期待に応えず、そして乗り越えていこう! 「対等な関係性」を目指していこう! 自分の気持ちを、その都度、大切にできるわたしに、 なっていけたら、いいな。 罪悪感を、手放してゆけたらいいな。 あなたと一緒に、そうなってゆけたら いいな。 おわり ↓ 察する、は多分「顔色を伺う」がより先鋭化された行為。鍛えてきちゃったんですね。 「私も一緒に手放す!」「放り投げる!! 」のポチッと・・・ありがとう! にほんブログ村 今日のお話を聞いてくださって、ありがとうね ( ´▽`) フォローをしてくださっている たくさんのみなさま・・・ 更新を楽しみに待っていて下さること、とてもうれしいです : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.04.06 16:20:17
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