ネット情報の活用法 その373
前回抜粋紹介した話から、ようやく悪魔管轄の戦争会社が、広島、長崎に原爆を落とした理由がなんとなく漠然とわかってきた。前回の話を再掲する。 ☆ ☆ ☆ すでに、朝鮮半島に内乱を起こしつつあるのだ。ここを戦場にもっていけば、アメリカは救われるだろう。 (米国が英女王とバチカンの戦争会社であることを暴露する発言である。) 福岡、八幡、下関は、その戦争の後方基地となる。天皇には私たちから、そういう場合は協力してくれと申し上げている。彼は協力すると答えた。福岡と八幡は特に重要だ。 (天皇も一味であると告白している。) 私は福岡県と隣接する大分県別府市に一発の爆弾も落とすなと、ルメイ少将に命じたのをお前も知っていよう。朝鮮戦争のための慰安基地として、別府ほどに理想的な土地はないのだ。いいか、これも秘密だ。 もう1つ、長崎でなければならない理由がある。ローマ・カトリックはヒトラーの残党たちを南米に逃している。日本の真珠湾奇襲と同じパターンだよ。 (南米から真珠湾攻撃のような何かが起こるのか?) 「日本のローマ」である長崎の浦上に原爆を落とし、ローマ・カトリックに意趣返しをすることになっている。ローマ法王を震えあがらせ、俺たちが育てた「オプス・デイ」を内部に入れて、やがてローマ・カトリックを乗っ取るためなのだ。 (オプス・デイが連中の仲間らしい。) (中略) 「捕虜より得たる報告によれば『センターボード』の目標5都市のうち、連合軍捕虜収容所なきは広島のみ。返答待つ」 ハンディは、グローブズと簡単に電話で打ち合わせてから返電を書いた。グローブズは、陸軍長官が捕虜の件でかれこれ言わなかったのでほっとしていた。スパーツヘの返電は次のとおりであった。 「もし貴官の情報が確かと信ずれば、広島を最優先せよ」 スパーツには自分の得た情報が信頼できないと考える理由はなかった。こうして広島が目標のリストのトップに置かれることになった。 ☆ ☆ ☆ 以上の話によれば、次に朝鮮戦争を計画していたために、北九州一帯は重要な拠点となることと、広島には捕虜収容所がなかったため、ということになる。広島投下については、日本側の徹底抗戦派の口封じもあったようだが、次回に譲る。 そして、コールマンの、広島、長崎にはカトリックが多いという理由は、ローマ法王への恐喝で、オプス・デイがバチカンを乗っ取る目論見ということのようである。 しかし、日本のカトリックを破壊することが、なぜバチカンの脅威になるのだろうか? 単純に考えて、他のキリスト教、例えばプロテスタントの信者を増やすためだろうか? 家康以来、日本はイエズス会のせいで、カトリックは禁教とされたが、逆にオランダなどのプロテスタントは貿易と引き換えに大目にみられている。しかし、日本人の多くは、カトリックもプロテスタントも、同じキリスト教とみなしているから、カトリックを破壊することは、逆にプロテスタントの布教の増強になることは確かだろう。 実際に、イエズス会は、中国支配を狙う橋頭堡として日本の長崎を足場にした。 連中にとって、日本に思想の足場をつくることが奴隷支配に必然であることがわかる。このことに気づいていたのが、秀吉、家康であり、なにより西欧侵略を恐れていたのが孝明天皇だった。 連中は薩長を唆して、孝明天皇を弑逆した。そして、日本はキリスト教の侵入を許した。キリスト教といっても、実態はキリスト教を隠れ蓑にしたメーソンに近い。 と近代の日本の歴史のなかのキリスト教を非常に粗くみてみたが、そこにカトリックを破壊した答えはみつからない。 しかし、連中が次の朝鮮戦争を狙い、カトリックを破壊したことに的を絞って、現代から逆算して考えてみれば、自ずと浮かび上がることがある。 オプスデイの信者が多いのはいうまでもなくフィリピンであり、そして日本のキリスト教信者といえば、ほとんどが得たいの知れないプロテスタントで、なかでも多いのが統一教会である。 そこで、統一教会とオプスデイをネットで調べると、やはり関連が出てきたので、以下に抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ 超巨大カルト、バチカン研究:(10)オプス・デイの正体とネオコン 今まで日本ではほとんど知る人の無かったオプス・デイも「ダ・ヴィンチ・コード」のおかげでその名が多少は知られるようになった。しかしこの小説で描かれるような、裏社会で闇の権力を握る中世的な不気味さを漂わせた秘密教団のイメージでこの教団を見るならば、全くその正体を見誤ってしまうだろう。 確かにこの教団(創設1928年)の初期には、ヌメラリーと呼ばれる僧職あるいは独身を守る会員の中には、とげの付いた鎖帷子を身に付け自らの背中を鞭で打ってこの教団に忠実であろうと務め苦行する者たちもいたかもしれない。しかしその初期であっても教団の圧倒的多数を占める世俗会員たちがそのようなことをしたとは思えない。 現在オプス・デイの会員は世界に約8万4千人と言われるが、その中心になっているのは、スマートに着こなしてウオール街で仕事に励む証券マンやエコノミスト、重役室で経営戦略を練る銀行や企業の幹部、オフィスでてきぱきと依頼の処理に励む弁護士や会計士、ロビーとの折衝や外交に忙しく飛び回る政治家とそのスタッフ、その他、高級官僚、軍の幹部、マスコミの編集委員や作家・評論家、大学教授や学者といった、有能な社会エリートたちなのである。(超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ>を参照のこと。) しかしこの教団には正式な会員の他に「協力者」という名目のシンパたちが数多くおり、その規模や実体は必ずしも明らかではない。それは社会の有力者層に意外なほど幅広く浸透し非常に柔軟な構造を持っているように思える。 カトリックの僧職に就いている者は2千名余りだが、現在バチカンの実務を取り仕切って「実質的な教皇」と言われる広報室長ホアキン・ナバロ・バイュス、枢機卿の中で影響力の大きさを誇るフリアン・エランスとルイス・シプリアニは自他共に認める正式な会員だ。 そしてローマ教皇ベネディクト16世は先代のヨハネ・パウロ2世と同様にこの教団の重要なシンパであり、バチカン市国の国務長官アンジェロ・ソダノはオプス・デイに極めて親密で隠れ会員と目される。またカトリック・シオニストとしてイスラエルの信任が厚いクリストフ・シェンボーンもこの教団に近い。バチカンはすでに完全にオプス・デイに乗っ取られていると考えて構わない。 世俗社会でも、「EUの父」として知られるロベルト・シューマン、チリの元独裁者ピノチェット、元イタリア首相アンドレオッチ、ポーランドの労組「連帯」の委員長で後に大統領となったレフ・ワレサ、元スペイン首相アスナール、元イタリア首相ベルルスコーニなどが会員、あるいは極めて近いシンパと言われる。 またEU執行部と議会のほかに、イタリア、スペイン、フランス、ベルギーなどの国会議員や政府閣僚には会員が大勢いるし、スペイン国王フアン・カルロスを含む欧州各国の王族や貴族にも会員とシンパの層が広がっている。 また以前からバチカンと表裏一体のロスチャイルド系資本とのつながりは当然で、閣僚に会員を登用した英国首相トニー・ブレアはカトリック教徒である妻に引きずられてオプス・デイに接近していると言われ、英国聖教会との馴れ合い的な関係も疑われる。 レーガンとブッシュ父子といった米国大統領はこの教団には頭が上がらず、歴代のCIAやFBIの幹部にもオプス・デイ関係者は多いと噂されている。 「伏魔殿バチカンに巣食う薄気味の悪い秘密教団」のイメージでこのカルト組織を見ているととんでもない思い違いをしてしまうのだ。彼らは現実に世界を動かす巨大は実力をすでに身に付けているのである。 神学的な屁理屈はともかくとして、実際のオプス・デイからうかがわれることは、この教団こそまさに『キリスト教的な粉飾を施したある種の世俗的なメシアニズム』の典型と言える点であろう。 これは<超巨大カルト、バチカン研究:(7)「世界統一神権国家」への道のり(B)シヨンからオプス・デイへ>でも述べた理念からも解ることだ。一応『キリスト教的な粉飾』をほどこしているので、例えば「原罪」などの概念は持っているが、その位置づけは従来のカトリックと比較すると見えないくらいに水で薄められている。 ここでオプス・デイ自身のサイトからThe most important "business": the children(最も重要な「ビジネス」:それは子供作り)と題される文章を見てみよう。 キリスト教の地でさえ、人々はしばしば仕事を神から与えられた罰であるとみなしている。最初の親【アダムとイブのこと】が原罪を犯した後でエデンの園から追放されるときにヤーウェが言った言葉は十分に馴染み深いものである。 「お前たちは額に汗してパンを食べなければならない。」しかし多くの人々は次の神聖な命令を忘れる。「増殖しそして何重にも増やし、この地を満たして支配せよ。」主が男と女を自分に似た姿で作ったときのことである。 最初の「キリスト教の地でさえ【原文:Even in Christian lands】」は奇妙だ。旧来のカトリックは、アダムとイブが犯した罪の結果として人間は苦労して働き子供を産まねばならなくなった、という聖書の解釈をしているのだから、「キリスト教の地だから」ならば話はわかるのだが。 オプス・デイはキリスト教とユダヤ教をゴチャゴチャにしているのだろうか。ホンネがポロリとこぼれたのかもしれない。 また「増殖しそして何重にも増やし、この地を満たして支配せよ。【原文:Increase and multiply, fill the earth and subdue it,】」は日本語の旧約聖書では「産めよ増やせよ、地に満ちよ」となっていることが多い。 この文章の聖書から引用ではそれに「支配せよ」がくっついている。 まあこれが一神教の本質的な思想なのだろう。そしてこの論文では原罪の意味よりも増殖して地球を支配することが強調されている。これが人間にとって最も重要な「ビジネス」である、という主張なのだ。この点は面白いことに文鮮明の統一教会と全く軌を一にしている。 しかし何といってもオプス・デイの聖書解釈の特徴は「仕事」に関するものであろう。旧来のカトリック教会は旧約聖書創世記2:15を「主なる天主は、人間をとらえてエデンの園に置き、そこを耕させ、守らせた。」と解釈してきた。 オプス・デイの創始者ホセ・マリア・エスクリバー・デ・バラゲー(以下、エスクリバーで記述する)はこの箇所を「人間は働くために創造された」という意味であると説明する。 その上で旧来のカトリックが「人は苦悩のために、鳥は飛ぶために生まれた」を訳したヨブ記5:7を、エスクリバーは「人は働くために、鳥は飛ぶために生まれた」と解釈しなおした。 (完全な誤訳である。) 私はこれに関する神学論争に加わる気は無いが、原罪の結果として人間は苦しんで労働しなければならない運命を背負っている、と解説してきたカトリックの発想は大きく変えられ、オプス・デイにおいては「労働は聖性追求の特別の手段であり、われわれの内的生活―社会の中における観想生活―は、われわれ各人の外的な労働の生活のなかに、その源泉と推進力がある」というように、人間の労働は原罪による罰ではなく「聖性追求の特別の手段」とまで言われる。 もちろん歴史的にカトリックの中にはドミニコ会のように労働を聖性追求の手段としたグループもあった。しかし「特別の手段」つまり「最も優れた手段」とまで解釈した例はなかった。またカトリックのこのような労働観がカトリック諸国で資本主義の進展を遅らせた原因となったのかもしれない。 ☆ ☆ ☆ 次回に続く。