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テーマ:今日聴いた音楽(74243)
インターネットの訃報欄を見ていたところ、弘田三枝子さんのお名前を発見しました、去年7月にお亡くなりになったとのこと。
ジャングル大帝の力強い歌が好きでした。 人形の家は、「わたしはー、はなたにー、ひのちほー、あずけたー」とかよくまねてました。 夢見るシャンソン人形はいま聴いても、本家とともに踊りだしたくなる感じです。 自分と10歳くらい違う方が亡くなるのを最近たまにニュースでみますが、死もはるか先の他人事ではなくなってきた感じです。 心よりご冥福をお祈りします。 Wikipedia:弘田三枝子 弘田 三枝子(ひろた みえこ、本名:竹永 三枝子、1947年2月5日 - 2020年7月21日[1])は、日本のポップス、歌謡歌手[2]。愛称はMICO(ミコ)[2]、(パンチの)ミコちゃん[3][4]。 歌唱力とパンチの効いた歌声で、洋楽をカバーした和製ポップスを歌ってヒットをさせ、和製R&B娘とも評された[5]。後のミュージシャン(都はるみ、大瀧詠一、山下達郎、竹内まりや、桑田佳祐ら)に多大な影響を与えた[6]。ジャズで鍛えたスキャットを得意とし、決まったコードの中で様々な絵が描けるので、あらかじめ決めないでスリルを感じながらその場でスキャットを奏でて楽しんでいたという。 カムバック 弘田は、60年代前半あたりまでは好調を保っていたが筒美京平らが曲を提供したにもかかわらず、それ以後のGSブームなどには完全に乗り遅れてしまった。60年代初頭のアメリカン・ポップスやオールディーズを歌う歌手という古いイメージを払拭し、カムバックを果たしたのが川口真作曲の「人形の家」である。弘田は1969年10月20日、「人形の家」でオリコンチャート首位となり[4]、第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した[14]。他方、1966年に雑誌スイングジャーナルの人気投票「女性歌手」部門でトップに立ち、小規模なジャズライブを中心に活動していた弘田が、カムバックという形で再度表立った活動を始めたことに対して、コアなジャズファンから、ジャズイベントの楽屋などで「弘田三枝子は堕落した」と言われたという。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.05.22 17:04:47
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