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テーマ:†キリスト教あれこれ†(28)
カテゴリ:宗教
御盆休みを利用して、以前から観たかったイエスと二人のマリアを観ました。イエスの生涯を女性の視点から、しかも聖母マリアと、マグダラのマリアという正反対の生き方をした二人の視点から描いているのが、斬新だと思いました。
二人のマリアは同い年ぐらいで、ナザレで育ち、友人でした。聖母マリアのほうは、結婚前に身ごもって、周囲の冷ややかな視線にも関わらず、神を信じイエスを生み育てます。 一方マグダラのマリアのほうは付き合っている男性がいたにも関わらず、母の死をきっかけに、華やかな都会の生活にあこがれ、ナザレを飛び出し、王のもとで暮らし、洗礼者ヨハネを陥れるなど、退廃的な暮らしを送ります。洗礼者ヨハネの死をきっかけに宮殿を飛び出し、ユダヤの律法に背き、石打の刑にされるところをイエスに助けられ改心します。 別々の人生を歩んだ2人が最終的にはイエスを核としてまた交わるのが面白いです。 二人のマリアが同郷の親友だったこと、マリアと同時期に神の働きで高齢で子供を身ごもった不妊のエリサベトが、聖母マリアの親戚であったり、生れた子が洗礼者ヨハネだったりとか、昔読んだはずなのに覚えてなかった聖書の登場人物が急に頭の中でつながった感じがしました。洗礼者ヨハネも神の働きで生まれたのだから蘇ってもよかったのではと思いました。 マグダラのマリアの罪は、この映画を観ると、女性の罪というよりも男女両方の罪として、解釈できるのではと思いました。彼女の人生に更に興味がわきました。「マグダラのマリア(2017)」という、映画もいつか観たいと思いました。 3時間24分の上下2本の長編ですがキリスト教に関心のある方には面白いと思います。 ■参考リンク 新約聖書 ~イエスと二人のマリア~ 2012MARIA DI NAZARET 2013年08月号 > What’s New 女性必見!! 「イエスと二人のマリア -選ばれし愛の生涯-」試写会 レポート!! 月刊いのちのことば 礒川道夫 ライフ・クリエイション ディレクター 母マリアとマクダラのマリアの人生を、フィクションを交えドラマティックに、そしてイエス・キリストの生涯を忠実に描いた感動作「イエスと二人のマリア-選ばれし愛の生涯-」の試写会が、東京(のべ100名)と大阪(のべ250名)で行なわれた。 イエス・キリストの生涯を描いた映画は、「ナザレのイエス」「偉大な生涯の物語」など多数あるが、本作では、マグダラのマリアと母マリアが幼なじみで、ヘロデ王の妻ヘロデヤが二人の人生を左右していく悪の象徴として設定されているなど、大胆な脚色がされている。 結婚前に身ごもっていることで陰口を言われながらも、天使のことばを信じて、神に従っていこうとする母マリアと、この世の誘惑に負け、ヘロデヤの策略にはまっていくマグダラのマリア。そして神を信じて従った母マリアは最愛の息子イエスを失うという思わぬ試練に会い、一方マグダラのマリアは姦淫の女となって、イエスの前に連れ出され、罪を赦されるという体験をする。観ているわれわれの人生にも、この二つの生き方が同居していて、日々選択を迫られている。真面目に生きていても、問題は起き、そして失敗をしても、赦してもらえる方との出会いがある。まさにわれわれの人生そのものではないか。 以下略 Wikipedia:イエスの母マリア 生涯 ヨセフと婚約し、結婚前にイエスを身ごもった。ヨセフは婚約者のマリアが身ごもっていることを知る。律法に忠実な義人であればマリアを不義姦通として、世間に公表し、申命記22・23に基づく石打ちの刑にする権利があったがそれを行使せず、全てを受け入れマリアと結婚した。ただしこのことはヨセフが神を深く信じ、情け深かったからであり、義人でなかったことを意味するものではない。 カトリック教会と正教会では、マリアにはイエス以外に子はいなかったと主張している。新約聖書の中での「兄弟」という記述は、実の兄弟以外の「親族」という意味だと解釈している。(当時の文献の中に「親族」を指している例もある)イエスの母語であるアラマイ語には、日本語の従兄弟、甥、姪にあたる言葉が無く「兄弟・姉妹」と言っていたようである[1]。プロテスタントの中には、新約聖書中の「兄弟」という記述を、文字通り「兄弟」だと解釈し、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの4人もマリアの子だったのだろう、としている宗派もある。 イエスの磔刑の後、晩年はイエスの十二人の弟子・使徒の一人である使徒ヨハネとともに小アジアのエフェソスで余生を送ったとも伝えられる。一方で、墓所は現在は聖母マリア墳墓教会となっているエルサレムにあるという説もある。 Wikipedia:マグダラのマリア マグダラのマリア(ラテン語: Maria Magdalena)は、新約聖書中の福音書に登場する、イエスに従った女性である。マリヤ・マグダレナとも音訳される。 正教会・カトリック教会・聖公会の聖人で、正教会では「携香女(けいこうじょ)」「亜使徒」の称号を持つ。この「携香女」の称号と、イコンに描かれるアラバスターの香油壷を持った姿は、磔刑後のイエスの遺体に塗るための香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来している。 共観福音書では、マグダラのマリアは「イエス・キリストが十字架にかけられるのを見守り、イエスが埋葬されるのを見、そして墓の方を向いて座っていた婦人たちの中で、最も重要な人物」とされる[1]。 西方教会において「罪深い女」とされるため、ニコス・カザンザキスの『最後の誘惑』のような現代小説をはじめとして、イエスとの結婚を伝える種々の伝承があるが、歴史的根拠は見出されていない[2]。 Wikipedia:エリサベト 生涯 祭司ザカリアの妻で、夫と共に忠実に律法を守っていた[1]。ザカリアと結婚してから長い間不妊であったが、高齢になってから妊娠して、ヨハネを生んだ。イエスの母マリアとは親類の関係である。マリアが受胎告知を受けたエリサベトを訪問(「聖母の訪問」)した時に、エリサベトは聖霊によって、祝福の言葉を述べた[2]。この時の言葉が『アヴェ・マリアの祈り』の中盤部分「あなたは女のうちで…イエスも祝福されています」の出典である。 Wikipedia:洗礼者ヨハネ 生涯 出生と洗礼活動 『ルカによる福音書』1章36節では、ヨハネの母エリサベトとイエスの母マリアは親戚だったという。同福音書においては、天使ガブリエルによってその誕生を予言されている。 『マタイによる福音書』3章によれば、ヨハネは「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物とする人物」と記述されている。ヨルダン川河畔の荒野で、神の国が近づいたことを人びとに伝え、悔い改めるよう迫り、罪のゆるしに至る洗礼を授けていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.08.29 01:35:25
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