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秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2022.12.02
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テーマ:天皇(43)
昭和64年のお正月は昭和天皇がご闘病中ということで、重苦しい雰囲気でした。1月7日の朝に崩御されたニュースを観ましたが、国民の生活への大きな影響を考えて、ひょっとして政府の配慮で正月明けまで通知を控えられていたのかと、当時漠然と思ったものです。

最近ネットで調べたら昭和天皇の侍医だった伊東貞三先生のアエラの記事を見つけて、昭和天皇のご闘病中のご様子や昭和の最後の8日間のことを知り、ああそういうことだったのかと思いました。

大喪の礼はよくTVで観ませんでしたが、NHKの記録を観て、当時の様子がよくわかりました。今思うと、昭和天皇の崩御を境に今に至るまで政治や経済等社会が、大きく動いたように思います。自分は昭和30年代以降からの昭和のいいとこしか知りませんが、大変だった時代を支えた方がいたからこそ昭和は偉大で良い時代になったと思います。あれから早くも33年、昭和は遠くなりにけりです。

■参考リンク
「呼吸が止まり、“昭和64年”は来ないと…」元侍医が語る「昭和天皇 最期の日々」皇室2016/04/23 07:00  AERAdot.
抜粋
――88(昭和63)年、8月の全国戦没者追悼式に出席した翌月に天皇は大量に吐血。国内が「天皇陛下、ご重体」という報道で騒然となった。
 御座所に呼ばれて伺うと真っ赤な血を吐き、下血もされていました。震えながら始末をしていたら、陛下が「伊東、今日は満月だよ。その障子を開けてご覧、きれいだ」と言われました。まるで首から下は自分ではないような、そんな感じでした。床に伏せている陛下がなぜこの日が満月ということをご存じなのか。最近になって、仕奉人(つかまつりびと)さんが大きな鏡を持ってきて、月をお見せしていたことを知りました。
 陛下には病名を告知していません。現在の天皇陛下はどんなご病気も告知を受け、それを包み隠さず国民に公表されていますが、当時は違いました。それで侍医長と議論もしました。私は告知すべきと思い、「迷いのないお心であるから告知してもいいのではないか。ひと言この世に残しておかれたいお言葉があるのではないか」と伝えました。
 結局、陛下に病名が伝わることはなく、陛下からも問いはありませんでした。ただ、あれほどの症状がおありでしたから、病状は理解されていたと思います。
――同年大晦日。天皇の呼吸が止まる。その日の当直は伊東さんだった。
 以前からすでに意識はなく、輸液と輸血でコントロールされていました。陛下の呼吸が止まって「昭和64年は来ない」と思った、そのときです。看護師が陛下の胸をタンタンとたたくと、呼吸が戻ったのです。ちょうど昭和64年が明けたところでした。それから1週間、延命されました。
 1月7日午前2時。自宅で待機していた私に、呼び出しがかかりました。皇太子同妃両殿下(今上天皇と美智子皇后)、常陸宮両殿下、竹下登総理(当時)が見守るなか、心電図のモニターがツーッとまっすぐになりました。侍医長がまず陛下に頭を下げ、それから皇太子同妃両殿下に頭を下げました。「すべてが終わった、昭和が終わった」と思いました。
※週刊朝日 2016年4月29日号より抜粋

昭和天皇はテレビがお好き? 「小公女セーラ」「サザエさん」も皇室2014/11/07 07:00 AERAdot.


昭和天皇晩年の想い出 単行本 – 2015/7/1伊東貞三 (著)



NHKテレビ放送開始70年特設サイト TV70:昭和天皇 崩御


もし、正月に身内が亡くなってしまったら:中本葬祭ブログ

教えてgoo:昭和天皇て本当に1月7日に崩御?
質問者:azuki-7質問日時:2014/11/26 17:33回答数:6件
昭和天皇は昭和64年1月7日に崩御しましたが
実際には63年の12月末に亡くなって居たという話もあります
そうだった場合 新元号の元年が数日しか無い事、年の瀬で忙しい中、国民に負担を掛けられない事 などの理由で あえて三が日明けの1月7日に崩御という事にしたのでは?
という話なのですが実際はどうなのでしょうか?
No.5ベストアンサー
回答者: mm058114 回答日時:2014/11/27 12:55
そのウワサ、聞いたことがあります。
もっともな事だと思います。
私も、そう信じています。
もしかしたら、人工的に年明けまで、生かされていたのかもしれません。
1/7も株価に最も影響の無い、土曜だったか日曜だったかじゃありませんでしたっけ?!
私は、大手飲食店チェーンに、その頃勤めていましたが、
12月の上旬には、各店に喪章が配布され、亡くなった日には、
直ぐに喪章をつける
看板類は消灯する
BGMは流さない
年賀状の番号利用の販売促進活動はしない
等々の通達が早々に出されていました。
財界には、知らされていて、国益を重視した対策の末の1/7だと思っています。
いかがでしょうか?!
No.4
回答者: phj 回答日時:2014/11/26 20:32
同様のうわさを聞いたことがあります。
私が聞いたうわさでは、昭和63年の12月後半頃の、昭和天皇はほとんど危篤状態でスイッチを切れば即崩御というぐらい状態が悪化していたものを、年末年始を乗り切るために、強制的な心臓マッサージ、1日何リットルもの輸血などをして、実際にはサイボーグ状態で生きていた、と聞いています。
門松がとれたので、それらの措置をやめご崩御なされた、とのことらしいです。
つまり、ものすごくほとんどありえないぐらい強制的に生かされていた(というより死なせてもらえなかった)といううわさです。
死すら自分の自由にならないのは大変ですね。

2023.8.19内容の追加。






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Last updated  2023.08.19 14:52:39
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