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テーマ:山口県の観光地(70)
カテゴリ:旅行 Travel
3月24日、秋芳洞を出てJRバスで萩に向かいました。萩バスセンターで降りると、新山口行きのバスの時間まで1時間半あります。
隣のお好み焼き屋さんでたこ焼きを焼いてもらい大急ぎで食べ終わりました。 残り1時間、さてどうするかと考え、徒歩だと大して回れないと思い、バスセンターにタクシー乗り場があり、何台か止まっていたので、40分借りて、回ってみることにしました。 最初に行ったのが、松陰神社と松下村塾。前日湯田温泉で行った居酒屋兆治テーブルにあった吉田松陰の言葉に興味を持ち、訪れたくなりました。 これまで歴史ものドラマは戦国時代が好きで幕末ものは好きでなく吉田松陰には興味がありませんでした。 しかし調べると、「9歳のときに明倫館の兵学師範に就任。11歳のとき、藩主・毛利慶親への御前講義の出来栄えが見事であったことにより、その才能が認められた。13歳のときに長州軍を率い西洋艦隊撃滅演習を実施。15歳で山田亦介より長沼流兵学の講義を受け、山鹿流、長沼流の江戸時代の兵学の双璧を修めることとなった。」ほど、幼少のころから優秀だったことが分かりました。また、松下村塾等で松陰は久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、品川弥二郎、山縣有朋、桂小五郎等を育て、教育者としても一流だったそうです。 親思うこころにまさる親ごころきょうの音づれ何ときくらん 短歌のことさん:親思ふこころにまさる親心けふの音づれ何ときくらむ 吉田松陰の和歌2022.10.27 遅ればせながらアマゾンで本を買って松陰先生について学んでみようと思いました。 萩バスセンターのお好み焼き屋さん。熱いのをあわててはふはふ言って食べたのがなつかしいです。 ■参考リンク Wikipedia:吉田松陰 吉田 松陰[注 1](よしだ しょういん、旧字体:吉田 松󠄁陰、文政13年8月4日〈1830年9月20日〉- 安政6年10月27日〈1859年11月21日〉)は、江戸時代後期の日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。明治維新の精神的指導者・理論者。「松下村塾」で明治維新で活躍した志士に大きな影響を与えた。 名前 幼時の名字は杉。幼名は寅之助。吉田家に養子入り、大次郎に改める。通称は寅次郎。諱は矩方(のりかた)。字は義卿、号は松陰の他、二十一回猛士。 安政元年11月20日に「二十一回猛子説」で、松陰はこう記している。 短歌のことさん: 吉田松陰の和歌2022.10.27 孤独にぐるぐるグルメ:居酒屋兆治(山口県湯田温泉)の煮込み(卵入り) カウンターのテーブルに吉田松陰の言葉が書かれていました。 「生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし。死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし。」 今まで吉田松陰には全然関心がありませんでしたが、この言葉が気になって翌日萩では、松下村塾と松陰神社に行ってきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.06 16:04:45
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