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CAPTAINの航海日記

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CAPTAIN@ Re[1]:なんか、腰が重い(05/21) >七詩さんへ アドバイス、ありがとうご…
七詩@ Re:なんか、腰が重い(05/21) 体重の負担等で関節の軟骨がすりへってい…
CAPTAIN@ Re[1]:調べましたねぇー(05/19) >lavien10さんへ いや~暇人なもので(…
lavien10@ Re:調べましたねぇー 東京が一番地方みたいな駅名が多く繋がっ…
CAPTAIN@ Re[3]:福島県、2040年の県立高校(執筆予告)(05/08) >情報提供さんへ この話題、当ブログで…
2013.09.19
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明治時代のはじめ、現在の埼玉県は、概ね荒川を境として「埼玉県」と「入間県」に分かれていました。入間県は1873年に北隣の群馬県※と合併して熊谷県となるなど拡大の傾向すら見せていたものの、1876年に埼玉県に編入する形で消滅(ちなみに、その際ほぼ現在の形で群馬県が復活)するという経緯を有しています。
数日前の話になりますが、Wikipediaで入間県の項目を読んで、ちょっと驚きました。文章が、埼玉県、特に県庁所在地となる旧浦和市への恨み節に満ちているんですよね。私が住む福島県でもこの手の恨み節は特に会津地方から聞かれることがありますが、書き手の強い感情は伝わってくるものの結果的に他地域をこき下ろす論調になりがちで、読んでいてあまり良い気分にはなれません。入間県が面積・人口的に劣る埼玉県に編入された背景には、当時の政府が中山道を東京⇔京都間を結ぶメインルートの一つとして重視していた関係もあるのかな?と素人目には感じるのですが…
でも、これとは別に、入間県が現在も存続していたらどのように発展していたのか?と考えるのは、面白いですね。群馬県との関わりが深い地域性を考えると、上越新幹線も大宮経由ではなく川越⇒熊谷というルートで走っていたかもしれませんね。

※後に群馬県域となる新田、山田、邑楽の各郡は、当時は栃木県の管轄


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Last updated  2013.09.19 18:16:49
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