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カテゴリ:仏閣
3月5日 奈良 東大寺に行って来ました。 天台宗や真言宗が出来る前の仏教が日本に伝来したばかりの時代には、東大寺の華厳宗、薬師寺や興福寺などの元の法相宗があり、当時の聖武天皇は仏教を広める手段として、東大寺を総国分寺として位置付け、各地に国分寺を作ったと言われています。 華厳宗大本山であり、東大寺は、別名 金光明四天王護国之寺とも呼ばれています。 そんな仏教伝来の時代からの歴史のある東大寺には、色々な行事にも歴史があります。 今回の「お水取り」もその中の1つです。 東大寺 南大門から入る 南大門の巨大な扁額 両脇には、巨大でリアルな金剛力士像 阿 吽 像及び南大門の巨大さが分かります。 東大寺ミュージアムや大仏殿は後にして、まず、お水取りの二月堂を目指す 右は、三月堂(法華堂) 向こうが、二月堂 三月堂(法華堂)は修理中で拝観できませんでした。 こちらは、その前にある四月堂(三昧堂とも普賢堂とも)を参拝した。 本尊の千手観音像 こちらも、もうしばらくすると「東大寺ミュージアム」に移動され、こちらの本尊には、収納庫から「十一面観音様」が来られるという。 普賢菩薩 こちらも、千手観音様が来られる前は、四月堂の本尊であったという。 二月堂より麓を望む 中央の大きな屋根が大仏殿
お水取りのお松明 二月堂前の塔頭には、使用された後のお松明がありました 二月堂 本尊は大小二体の十一面観音様で、絶対秘仏であり、誰も見ることを許されていないという。 この本堂は、国宝であり、付属の建物も重要文化財ばかりであるが、その中で上の「お松明」を振り回す宗教的行事「修二会(しゅにえ)」が8世紀頃から行われている。 修二会は、旧暦の2月、二七日(にしちにち、14日間の意)にわたって行われる行事で、二月堂本尊の十一面観音に対して自らの過ちを懺悔し、国家の安定繁栄と万民の幸福を祈願する十一面悔過(けか)法要であり、現在では新暦の3月1日から14日まで行われている。 今年は、1261回目(1261年経過している)のお水取りです。 法要は練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる、特に選ばれた11名の僧が執り行う。 この二月堂 観光客も少なく、閑散としているようであるが、堂に入り切れない位の信者達が真っ暗な外陣の中で行を行っている錬行衆を見ながら、祈っているのです。 錬行衆の中の三名が三千遍の礼拝を行う 数取懺悔(かずとりさんげ)が行われているのです。 3000回とはいっても、10回の後は10、20、30、...100回、100回のあとは100、200、...1000と数え、これを3セット行うので、実数は3000回ではありませんが、合掌した手を頭上に大きく手を摺り上げ、顔が膝に付くくらい身体を折り曲げる。このような全身を使った礼拝を行うのはかなりの運動量で、昼間の行では、汗びっしょりで、頭から湯気が立っていました。(写真撮影は禁止) 戸帳の端に立った堂司が、礼拝の速度の様子を見ながら大きな声で数を取ります。 イッーペーン、ニーヘーン、サンーベーン・・・ニーヒャーッペン、サンビャーッペン、ヨーンヒャーッペン・・・・とお経のような美しい声明に合わせて、全身でお辞儀している姿を見ると、本当に「行」というのは有難く感じますが、自分でやることを考えると大変だなーと思います。
色々な数々の行が十四日間行われますが、「松明」は、火を付けられ、この階段を上がり、右の舞台の上で振り回されます。 この火の粉を浴びると、一年間無病息災で居られると言います。 使用前の「お松明」 1-11日と13-14日目に使われるお松明は、長さ6m、重さ60kg 盛大に行われる12日目は長さ8m、重さ80kgの物が使われるそうです。 湯屋の中では、多くのお寺関係者がお餅をついて居られました。 大きな臼で、一度に7升を4人で打ちます。 右の御爺さんは、80歳以上に見えましたが元気で、力強さは周りの人に負けていませんでした。笑 この日、直径15cmのお餅を1000個作り、二月堂の観音様にお供えするのだそうです。 大仏殿に降りる石作りの坂道 左は、大湯屋です。 大湯屋の入り口門の鬼瓦 中には入れませんが、門の中央に、この花が・・・ 少し離れた所に、二月堂のお松明を撮影するスポットも準備されていました。 多分、夜になると凄い人になるのでしょうが、午後2時には、既に3名のカメラマンが席を取っていました。笑 以上
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Last updated
2013.03.08 05:36:05
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